●銃撃犯ウェストンの奇妙な言動
ラッセル・ユージェニー・ウェストンは1998年7月24日、アメリカの連邦議会議事堂で銃を発砲し、二人の首都警官を殺害し、一人の通行人に怪我を負わせた。ウェストンは、実は秘密警察の監視リストに載っていた。彼はクリントン大統領への脅迫事件を起こしていたからである。
秘密警察局長ルイス・マーレッティによれば、ウェストンは今回の発砲事件の6時間前、ホワイトハウスからペンシルベニア通りを隔てたラファイエット公園にいるところを目撃されている。彼はそこで「標的は大統領」とほのめかしている。
ラファイエット公園のウェストンを目撃した一人として、ニューヨーク・タイムズのホワイトハウス特派員ジョン・M・ブローダーがいる。ブローダーは事件翌朝、秘密警察の事情聴取に応じ、次のように述べた。
「私が公園のベンチに座っていたところ、ウェストンが近づいてきました。彼は私に『突撃部隊がワシントンに集結しつつあり、何百万人もの人々が死ぬだろう。それはホワイトハウスにいる奴のせいだ』と言いました。」
秘密警察のマーレッティは言う。
「目撃者証言からは、ウェストンは大統領を標的にしていたようです。彼はホワイトハウスの護衛があまりにも固いのを見て、キャピトルヒルへ向かったようです。」
1996年7月、ウェストンはバージニア州・ラングレーのCIA本部に行き、その正門で数時間、護衛に長口舌を述べ立てた。
その内容は愚かしい幻想であり、例えば、彼とクリントン大統領はクローンであること、ジョン・F・ケネディ大統領を暗殺したのはクリントン大統領であること、ウェストン自身、軍の上級将校でタイムマシンを発明したこと、などであった。
ニューヨーク・タイムズ紙によれば、ウェストンはCIAに就職希望の願書すら送り付けていたのである。
1996年4月、秘密警察はウェストンの身元調査を開始し、ウェストンが在住していたモンタナ警察の報告書によれば、彼は大統領に卑劣な脅迫を行っていた。
秘密警察はウェストンに二度の訊問を行い、心理テストも行った。その結果、秘密警察はウェストンについて、クリントン大統領の生命を直接脅かす恐れはないとの結論に達した。そして、低レベル監視リストに、彼を加えた(秘密警察の「ハイ・リスト」には常に数百人の名前がリストアップされていて、秘密警察は常に彼らの活動・所在を調査する権限を与えられている。そして、秘密警察は彼らに、ホワイトハウスへの接近、大統領行事への立ち入りを禁止している)。
しかし、ウェストンはこの後も依然として、反政府、反クリントンの言葉を公然と言い続け、その結果、1996年10月11日、モンタナのウォーム・スプリング精神病院に入院させられた。
インディペンデント・レコード紙は、ウォーム・スプリング精神病院の元従業員、ジェリー・スウィハートにインタビューを行っている。彼は当時を思い出して、次のように述べている。
「ウェストンはよくこう言っていました。
『俺が入院させられたのはクリントンを脅迫したからだ。俺はあいつの汚い部分をつかんだんだ。でも今、君にそれを話せば、俺はやられてしまう。』
彼はいつもクリントン大統領と政府についての話をしていました。本当に政府が嫌いだったようです。彼がこの話題以外のことを話しているのは思い出せませんね。」
ウェストンは1996年12月2日、病院を退院した。しかし、退院条件は、彼がイリノイ州・南セントルイスのヴァルマイヤーの実家に戻り、ウォータールー精神病センターで治療を受けるというものだった。
●ヒンクリー事件との類似点
インディペンデント・レコード紙によれば、ウェストンには一度の逮捕歴しかない。それは、1991年8月7日、危険なドラッグを売った罪によってである。そして、起訴はされず、罰則が与えられることもなかった。
しかし、家族・知人の話では、ウェストンは1980年代半ば、偏執・分裂病と診断され、治療の必要ありと見なされた。このとき、ウェストンは金鉱脈を発見する事業に乗り出しており、それは結局、失敗に終わっていた。このときの仲間の話では、ウェストンが偏った反政府主義者になったのは、1988年、アメリカ森林局とのいざこざがあってからだった。
ウェストンは、爆発物犯人として起訴されているセオドア・カシンスキーの家から20マイルも離れていない場所に住んでいた。これまでのところ、ウェストンがカシンスキーと交流があったという証拠は上がっていない。
また、ウェストンがミリシャ、あるいは北西部州に広がっていた過激なエコロジスト・グループとつながりを持っていたという証拠も発見されていない。
彼は日記を付けていたが、FBIはまだそれを発見していない。しかし、ウェストンが両親の家に保管していたファイル書類については押収しており、そこから彼の交友関係が浮かび上がってくると考えられている。
ウェストンの父がメディアに語ったところでは、ウェストンは発砲事件を起こす前日、実家に戻っていた。しかし、ウェストンが凶暴になり、ショットガンで十数匹の猫を殺すに及んで、彼の父はウェストンを家から追い出した。後に、ウェストンが、父所有の38口径のスミス&ウェッスン・スペシャルを持ち出していたことが明らかとなった。
ウェストンが首都で発砲した狙いは、明らかすぎるほどである。秘密警察・元高官は「ヒンクリー事件との類似性は明らかです」と語った。
ジョン・ヒンクリーは1981年3月、ロナルド・レーガン大統領がワシントンのヒルトン・ホテルを出ようとした時、発砲した犯人である。
ウェストンと同じくヒンクリーも、事件を起こす前には精神病の診断・治療を受けていた。そして、ヒンクリーが事件を起こす直前に、彼を治療していた精神科医たちは、諜報機関と関わっていた。この精神科医たちは、精神病と暴力事件との関連を専門としており、人の精神を「プログラム」する手法についても研究していたのである。
ウェストン事件についても、ヒンクリー事件と同じく次のような疑問が浮かび上がる。一体、彼はプログラムされていたのか?
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