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▼グリーンスパン、LTCM崩壊と共に失墜


●LTCM崩壊の大惨事

 ロングターム・キャピタル・マネジメント(LTCM)ヘッジファンドの崩壊は、FRB議長アラン・グリーンスパンと、ニューヨーク連邦準備銀行の上層部に、ヒステリックな行動を起こさせた。
 両者は、14の銀行に36億ドルの現金を出させて、LCTMにつぎ込んだ。これは、世界全体のデリバティブ市場と金融機関の崩壊を防ぐためだったが、そのことは、グリーンスパンの信用を徹底的に落とした。
 グリーンスパンは何年間も、特に1994年12月のカリフォルニア州オレンジ郡でのデリバティブの崩壊以来、「デリバティブは問題ない。情報時代の経済の、便利で必要な道具だ」と、嘘をついてきたのであった。

 LTCMの惨事は解決には程遠い。
 グリーンスパンとその仲間は、他にも起こる可能性のあるデリバティブ大惨事が、世界の市場の中で、“まだ活動中”となっているのを恐れ、1920年から23年のワイマール・ドイツ型のハイパーインフレの無謀な道を追求している。
 1998年9月29日、グリーンスパンの指導の下にある連邦準備制度理事会は、フェデラルファンド金利を0.25%下げて5.25%にした。これは、新しい流動性を金融システムに注ぎ込む水門を開くことになる。

 グリーンスパンは、このゲームのルールを、次のように理解している。
「自分が何もしなければ、“デリバティブが引き起こす連鎖反応メルトダウン”によって、金融システムは崩壊する。または、大量の流動性を注ぎ込み、それによって短期的に“構造を維持する”が、その後すぐに起こるハイパーインフレによって、実際には破壊する。このどちらかである。」

 このシステムを、“合理的な破産の再組織”と取り替え、ハミルトン主義者のナショナル・バンキングに戻すということは、グリーンスパンは考えていない。
 グリーンスパンは自分の名声を賭け、連邦準備制度理事会の議長として11年を過ごし、それ以前は、銀行家兼コンサルタントとして30年を過ごし、この投機とデリバティブで粉飾された金融バブルを作り上げてきた。
 この金融システムは、“彼の”金融システムであり、グリーンスパンはこれを維持するために、できることは何でもやるだろう。たとえ、その破産が救済できる範囲を越えているとしても。
 グリーンスパンは、このバブルの崩壊を防ぐのに必要とされる、ゆとりの富の追加分を略奪するために、ものすごい緊縮財政を適用する準備をしている。

 我々は、グリーンスパンが、
・デリバティブ市場を維持しようという努力を続けていること
・システムの破綻を隠そうとしていること(もう衆知の事実になっているが)
・バブルを何とかして支えるために、社会保障制度を民営化することにより、横領するということを含めて、緊縮財政手段をとっていること を示そうと思う。


●グリーンスパン、ソロスを弁護

 1997年8月、英連邦の投機家の第一人者ジョージ・ソロスと、ソロスのクォンタム・ファンド率いる猛烈なヘッジファンドの攻撃が、タイのバーツ、マレーシアのリンギット、インドネシアのルピアに仕掛けられた。
 マレーシアのマハティール・ビン・モハマド博士は、ソロスを“愚か者”と呼んだ。そして、「“マレーシアを金融によって再植民地化”しようという、進行中の計画がある」と警告を発した。
 その時、グリーンスパンは、ワイオミング州のジャクソンホールで、カンサスシティーの連邦準備銀行が主催した銀行家とエコノミストの年次総会に出席していた。
 1997年9月2日のドイツの日刊経済紙『ハンデルスブラット』によれば、グリーンスパンは、その会議の最中に時間を取って、“マハティールを猛攻撃”し、ソロスと投機筋を弁護した。
 グリーンスパンは、マハティールの告発を“根拠のないばかげた非難”と呼び、その通貨危機の原因は、マレーシアと、他のアジアの経済であると主張した。
 グリーンスパンのマハティールに対する激しい爆発の背後にあったのは、グリーンスパンが深く公理的に信じている非合理主義の爆発、投機による略奪行為、政治経済学と国民国家のアメリカシステムの嫌悪であった。

 アラン・グリーンスパンは、1926年、ニューヨークで生まれた。
 1940年代の後半と1950年代前半の間は、ファシストのロシア人国外居住者アイン・ランドのカルトの待者をしていた。
 ランドは、「国家の介入は、特に取り締まりは、いかなる形であっても個人を抑圧する」という主張をしていた。
 彼女は自分の哲学を“客観主義”と呼び、自分の周りに“集合体”と呼ぶ弟子の側近者集団を集めていた。
 グリーンスパンはその中の一人で、ランドに“請負人”と呼ばれていた。グリーンスパンは、刊行直前のランドの著作の草稿に意見を述べ、カルトの新聞に執筆し、10年間、客観主義者の団体で教えた。
 ランドは、「個人は、自由にニヒリスティックな非合理主義者的激怒をすべきである。自由貿易と高利貸しも同様である」と教えていた。  ランドの著作『水源(The fountainhead)』の中で、主唱者ハワード・ロークは、有名な法廷の場面で、次のように述べている。
「この国は、無私の奉仕の上に成り立っているのではない。……幸福を追求する人間の権利の上に成り立っているのである。自分自身の幸福である。他の人のではない。」

 グリーンスパンは、ランドの伝記の作者バーバラ・ブランデンにこう言った。
「ホッブズの説に基づくランドのシステムは、政治的自由と矛盾しない唯一のシステムである。……社会についての新しい全体的な展望が、私に開かれた。」

 1974年、リチャード・ニクソン大統領の経済諮問委員会の委員長として宣誓就任した時、ランドは最前列に座っていた。グリーンスパンは、この日までランドの哲学を信仰していたのである。

 1954年から1987年までの間のかなりの期間、グリーンスパンは、ニューヨークの財界のためのコンサルティング会社タウンゼンド・グリーンスパンの共同経営者、のちにトップとなった。
 1977年から1987年までは、モルガン保証信託と、その親会社JPモルガンの両方の役員会のメンバーだった。モルガンは、銀行業界におけるイギリス諜報機関の事業のトップである。

 1987年8月、グリーンスパンは連邦準備制度理事会の議長に任命された。
 グリーンスパンは、長い間、アメリカの銀行制度の規制解除を主張し、1982年のアメリカ銀行制度の規制解除を支持した。
 この規制解除は、すぐに貯蓄と貸付の大惨事を招いた。また、商業銀行の金融大惨事も招き、特に不動産市場がひどかった。
 それは、1980年代半ばから1990年代前半まで続いた。実際、1991年には、当時アメリカ最大の銀行だったシティバンクや、他のマネー・センター・バンクであるマニュファクチャラーズ・ハノーヴァー、ケミカル・バンク、バンク・オブ・アメリカは、倒産しそうだった。
 FRB議長グリーンスパンは、公定歩合を下げる作戦を自ら立てた。
 7回の利下げで、公定歩合は最終的に3.0%まで下がった。その結果、商業銀行は、連銀の割引窓口で3.0%で借りることができ、経営状態は好転し、そのお金をアメリカ財務省債券に投資することができるようになった(財務省債券は、3%から4%ポイント高い金が返ってくる)。
 FRBは、数十億ドルを注いで、あらゆる種類の投機を行っていた大手商業銀行に対し、事実上助成金を支給した。それらの銀行は、“大きすぎて倒産する”と言われていたからである。

 1998年6月、グリーンスパンは、HR10プランを熱心に支持した。
 そのプランは、保護的な性格を持った最後の法律である、1930年代のマクファーデン&グラス・スティーガル条例を削除することによって、銀行制度の規制解除を促進するものである。州を越えて、銀行が銀行を立ち上げたり買収したりすることを許し、商業銀行・投資銀行・保険会社を混ぜて合併することを許可し、保険を売ったり、預金を取ったり、金融スーパーマーケットとして有価証券を売買したりすることを許すというものである。

 グリーンスパンの行動は、アメリカを「資本集約・エネルギー集約的な発展に基づいた製造業・農業・インフラストラクチャー志向の経済」から遠く離して、「規制解除グローバル化情報時代経済」にトランスフォームさせるという信念から来ている。デリバティブが生んだ投資情報サービス機関、株式投機、等々……が、主な特徴である。
 1997年10月14日、グリーンスパンは、ワシントンDCでリバテリアン・カトー・インスティテュートへの演説を行ったが、その中で、「物理的な経済生産の持つ役割の重要性は、“富の創造”という点では、“情報処理”と“投資情報サービス機関”を合計した重さに比べたら、はるかに少ない」と言っている。


●“デリバティブ解放最前線”

 グリーンスパンは、抑えのきかない凶暴さをもって、デリバティブを規制の下に置こうという試みや、デリバティブの成長を妨げようという試みに反対してきた。そして、自分の力の及ぶことはすべて行い、デリバティブの成長を支え、流動性を与え、優先権を与えてきた。
 連邦準備制度の力は、通貨信用政策においても、規制を監督する力においても、強大である。FRBが、兵器庫の使える兵器は全部使って、デリバティブの成長を阻むような決定をしていれば、デリバティブは、現在の癌の大きさの断片だけで存在するか、全く存在しなくなっていただろう。

・1992年、FRBが、シティバンクを管財人の管理のもとに効果的に置いた時、詳しい情報筋によれば、シティバンクは、ソロスのクォンタム・ファンドに多額の貸付をしたということである。ソロスが、イタリアのリラとイギリスのポンドを攻撃する金を供給したのであった。
 シティバンクの主要な部門には、100人以上の連邦準備制度の監督者や監査役が置かれていた。シティバンクは、FRBの賛成なしでは、大きな額の貸付をすることができなかった。
 よって、ソロスへのシティバンクの貸付は、FRBに賛成してもらう必要があった。わざわざグリーンスパンまで上げ、グリーンスパンを含める必要があった。シティバンクの重要な地位だったから。

・1997年2月21日、グリーンスパンは、フロリダ州コーラルゲーブルズで行われたアトランタ連邦準備銀行の金融市場会議で演説をした。
 グリーンスパンは、政府のデリバティブ規制をばかにし、「銀行は、現行の“自己監督”を続けさせるべきだ」と言った。
「もし民間による市場統制が効果的なら、政府による統制は、よくても不必要である。最悪の場合は、政府による統制の導入は、現実には統制の効果を弱めるかもしれない。……多分、そういうことは不必要で煩わしいことが判明するだろうし、もっと注意深く考えれば、根本的な目標であることがわかると思われるものと正反対でさえあるのではないか。」
 グリーンスパンはさらに警告した。
「(LTCMが取引しているような)法人店頭取引デリバティブ市場の場合、民間による市場統制が、政府による統制の公共政策の目標と見なされているものを、非常に効果的にまた効率よく達成していることは十分に明らかである。……このように、法人同士のデリバティブ取引において、政府による統制は必要ないと思われる。……」

 実際、ここ数年にわたって、グリーンスパンは、デリバティブを規制しようとする者は誰でも、手厳しい扱いをしている。
 1997年の夏、独立の会計委員会である財務会計基準審議会(FASB)は、「デリバティブ契約は、現在の市場価値で、バランスシート上で報告すべきである。それは、投資家に、単に会社がどれだけデリバティブの負債を抱えているかを知らせるためである」と提案した。
 グリーンスパンは、FASBと議会に、FASBを攻撃する手紙を3通出し、「デリバティブは、バランス・シートには載せないままにすべきである」とその中に書いた。
 7月31日に公開された3番目の手紙では、グリーンスパンは、このように述べていた。
「FASBの提案は、用心深いリスク管理活動をそこない、人を惑わせる金融情報を提供する場合もある!」
 その手紙には、グリーンスパンが“デリバティブを利用し、FASBが提案した規則変更に、深刻な関心を表明する多数の産業の主要な会社”と主張する22社の署名がしてあった。その22社のトップは、ほとんどが銀行のトップであった。

 ジェームズ・リーチ議員(共和党、アイオワ州)の下にある下院銀行委員会は、FASBの提案についての公聴会を開いたが、それは、FASBに対して、変更を行わないように脅迫するためのものであった。
 グリーンスパンは、その公聴会での目玉の発言者だった。

 1998年5月、グリーンスパンは、商品先物取引委員会(CFTC)の委員長ブルックスリー・ボーンの提案を攻撃した。その提案は、商品先物取引委員会が、証券取引所を経ない店頭取引のデリバティブ(銀行やヘッジファンドによって取引されるもの)のリスクを調査しようとするものだった。
 グリーンスパンは、それと同時に、議会の親友と、商品先物取引委員会の調査に反対する公聴会を開く準備をした。

 実際、デリバテイブを抑制する努力がなされるたびに、それが小さな方法であっても、グリーンスパンは、デリバテイブを防御する行動を取ってきた。
 グリーンスパンが、1987年8月にアメリカFRBのヘッドを引き継いだ時、アメリカのデリバティブ所有財産の総額は約3兆ドルだった。
 デリバティブは今日までグリーンスパンの養育のもとにあったが、アメリカの商業銀行、投資銀行、その他のアメリカの会社にあるデリバティブ所有財産を数えると、アメリカのデリバティブ所有財産は40兆ドルである。これこそ、“グリーンスパン・デリバティブ・バブル”と呼んでしかるべきである。


●生活水準を大幅に下げる

 デリバティブ・バブルは、製造所や工場の設備、人々の生活水準から富を吸い取ってバブルの口座に移すために、癌のように最も厳しい緊縮財政を要求する。

 グリーンスパンは、生活水準に繰り返し攻撃を仕掛けた。
 例えば、1997年の10月8日の下院予算委員会での証言の時、グリーンスパンは、社会保障制度を追求した。
 グリーンスパンは、「社会保障制度信託資金が、問題を抱えているのは、給付金が高すぎるからだ」と嘘をついた(実際は、信託資金が抱えていている問題が何だとしても、それはアメリカの実体経済の崩壊のせいである)。
 グリーンスパンは、「給付金は減らす必要がある。また、退職して給付金を受ける前の労働時間はもっと長くすべきだ」と述べた。
 グリーンスパンは、「社会保障制度の状況を解決するのに役立つ」という決まり文句を並べ、「人々の寿命が伸びたので、退職後の時間のパーセンテージは、ライフ・スパンに比例して、等しくすべきである」と論じた。これは、「人々がもっと長く働くように強制すべきである」と言う方法の一つである。
 グリーンスパンは、消費者物価指数を下げる不正操作をすることによって、高齢者の市民が受ける恩給の生活費調整分を減らすことを要求した。

 尋問の間に、グリーンスパンは、社会保障制度の民営化(これは、ウォールストリートが数兆ドルを盗み取って、その金を株式市場バブルを支えるために投資する企みである)を感情むき出しにして称賛した。
 グリーンスパンは委員に、「最近、ホセ・ピネラと会った」と言った。
 ピネラは、チリの社会保障制度を民営化し、現在、カトー・インスティテュートで、アメリカの社会保障制度を民営化する仕事に携わっている人物である。

「ホセ・ピネラは、私が出席していたディナーの時、本当に魅力的なことを言った。
『承認証書(チリの社会保障制度でもらうことになっている)を受け取り、退職プログラムで自分が何を所有しているかを知った時、人々は、非常に一般的な包括タイプのプログラム(すなわち実際の社会保障制度)と違って、相当のプライドを感じる』と。」

 グリーンスパンが言わなかったことは、チリの社会保障制度は、アウグスト・ピノチェト将軍のネオ・リベラル独裁制の間に、銃口を突きつけられて誕生したということである。
 さらに、1997年8月31日以降、株式市場の崩壊によって、チリ人は、退職資金の価値の22%を失った。

 1997年7月22日、グリーンスパンは、議会で、雇用に関する“ハンフリー・ホーキンズ”の年1回の演説を行った。
 グリーンスパンは、労働者の不安定な状況について、“グローバリゼーション、小型化、一時解雇のせい”で“賃金を安くキープするのに必要不可欠な要素”と断言した。

 議会の他の公聴会で、グリーンスパンは、「どういう利益があるのか“決定されていない(グリーンスパンの言葉)”インフラストラクチャーを建設するのに金を使うよりも、政府予算の余剰を出す方がましである」と言った。

 グリーンスパンの本『(各省長官で構成する)大統領顧問委員内閣に閉じ込められて』は、ビル・クリントン大統領の第一期の労働長官ロバート・ライヒによる記述だが、その本の中で、ライヒは、FRB議長が持っている恐るべき影響力についての洞察を述べている。
 ライヒはグリーンスパンを“追いはぎ貴族ぽん引き”と呼んでいる。ライヒは、「グリーンスパンは、名前が直接出たことは一度もないのに、どんな予算会議にでも出没する」と言う。
「前任のFRB議長ポール・ボルカーのように、グリーンスパンは、単に支配を強めただけで、経済をきりもみ状態に陥れた。ボルカーはそれを1979年に行い、ジミー・カーターは首になった。
 ビル・クリントンはそれを知っている。グリーンスパンは、町で一番重要な支配力を有している。ビルのボールは彼の手のひらの中にある。」

 ライヒは、これがクリントン自身に与える影響についての話を載せた。
「彼は息巻きながら、部屋中を大股で歩いている。
『我々は、ウォールストリートが望むことは全部実行している! ウォールストリートが望まないことは全部こきおろされた。』
 彼はもう2、3歩歩く。
『我々は魂を失いつつある。』
 彼は、特に誰にも話しかけない。しかし私は、彼がアラン・グリーンスパンに向かって大声で叫ぶのを想像せずにはいられない。
『私は、それをやろうと思ってここに来たことが実行できない。』」


●今やハイパーインフレーション

 LTCMの危機は、「デリバティブには問題はない」という、グリーンスパンの弱々しい主張の信用を徹底的に落とした。
 今回は、オレンジ郡のロバート・シトロンのような“ローン暗殺者”のような話や、デリバティブの過ちについて非難されるべきベアリングズ・ブラザーズ・バンクのニック・リーソンのような話はない。
 世界中に広がった130兆ドルデリバティブ取引システム全体こそ、過ちである。世界の最大級の銀行は、LTCMに巻き込まれた。
 しかし、デリバティブの世界ネットワークの中心地で、デリバティブシステムを閉鎖しようとしないアラン・グリーンスパンとFRBは持ちこたえて立っている。

 グリーンスパンは、クリントン大統領が、9月14日にニューヨーク外交問題評議会で、新しい財政構築について提案したことや、財務長官ロバート・ルービンの「銀行は損害を被るべきで、価値のない手形に対しては1ドルにつき5セントを受納しなくてはならない」というコンセプトを妨害しようとしている。

 その代わり、グリーンスパンは、「デリバティブ市場を救済すべきだ」という正気でない判断と、「デリバティブ市場を救済することはできない」という同じく正気でない判断により、印刷機を動かし始めた。
 これはハイパーインフレーションを引き起こし、デリバティブ市場では、多くの人が1920年代のワイマール・ドイツに存在したどんな市場よりも、はるかに多くの量を注文するようになるだろう。

 グリーンスパンの有能さについての名声は、実際はそれには値しないのだが、今や消え去ったのである。
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