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▼ヴァヌヌとイスラエルの核兵器開発


●1998年夏のヴァヌヌ発言

 中東の極小国であるイスラエルの核兵器開発を世界に向けて暴露したかどで、同国の地下牢に12年間独房監禁されていた男性が、英国のマスコミに、「もう一度やる」と発表した。

 ロンドンのサンデー・タイムズ紙は、1980年代に、かつてのイスラエルの核技術者モルデチャイ・ヴァヌヌが、イスラエルの核兵器開発を暴くために選んだ新聞だが、南イスラエルのアシュケロン刑務所で監禁状態の身でありながら、イギリスの記者に、こう言っている。
「いかにも私は、深い確信のもとにイスラエルの罪を暴いたのだ」と。

 ヴァヌヌは、1986年にイスラエルで裁判を受け、懲役18年の判決が下ったが、12年間を独房で過ごした。そして昨年春、アシュケロンの他の囚人たちと共に、毎日の散歩に加わることが許された。裁判からその時まで12年間、ヴァヌヌは一度も太陽の光を見ることはなかったのだ。


●憂慮のゆえの行い

「私は、イスラエルの支配階級全体に対して敢然と立ち向かい、自分の信じるところを述べた唯一の人間だ。」
 ヴァヌヌは、ネゲヴ砂漠にあるイスラエルのディモナ核プラントで、技術者として数年間勤務していた。そして、サンデー・タイムズに、最高機密である地下工場の架設の詳細な計画および、イスラエル軍がエリコ・タイプ誘導ミサイル用にデザインした核弾頭を100個以上も作った、という文書による証拠を引き渡したのだ。

 サンデー・タイムズに発表されたその証拠により、核兵器戦闘能力はないというイスラエル側の主張が偽りであることが明らかになった。そして、その核兵器の開発は、1948年の、イスラエル建国時にまで遡るものであったのだ。

 この取り組みは、イスラエル首相であり、防衛長官でもあった、デイヴィッド・ベングリオン、そして、核の専門家であり、ディモナ・プロジェクトの創始者でもあるアーンスト・デイヴィッド・バーグマンとによって開始された。

 1960年代を通して、イスラエルと緊密な関係にあったフランスは、バーグマンとその部下の技術者に、技術的援助を与えた。
 そして1956年、イスラエルがエジプトに侵攻し、スエズ運河を一時占拠したスエズ戦争に続いて、核戦闘能力への取り組みは、ディモナの原子炉の建設に伴って、スピードアップされた。原子炉は運転可能になり、1962年には70メガワットを産出した。


●イスラエルの嘘八百

 ヴァヌヌが暴露するまでの間、何年間も、イスラエルは、ディモナ・プラント存在に関して様々な説明をしてきた。例えば、「マンガン生産工場である」などと。

 J.F.ケネディの在任中、米国は、自国のホーク地対空ミサイルの販売権をディモナ・プラントの視察の見返りにイスラエルに与えたが、それはお膳立てされたパフォーマンスに過ぎなかったのである。

 このように、ディモナは1968年に核兵器の最大限の生産を開始した。恐らくは、在来型の、原子力によらない軍事力で敗れた場合の「最終選択」として用いるために。

 そうこうするうち、多くの米国兵器がイスラエルに譲渡されるのに紛れて、ホーク・ミサイル技術は、イスラエルの武器商人経由で世界の兵器市場に現れた。

 イスラエルによる核兵器拡散は、近隣のアラブ諸国に多年にわたって影響を与えてきた。その結果、イラクをはじめとして、アラブ諸国は独自の核兵器開発を試みるに至ったのだ。

 イスラエルは、南アフリカからの550トンの兵器等級ウラニウムの見返りとして、1980年代の初めに、同国の核の潜在力の開発を援助した。
 その技術は、今年の初めに、目下共産主義の南アフリカのネルソン・マンデラ政権によって、北トランスヴァールのペリンダバにある南アフリカの完成した核兵器設備も含み、中国赤軍派に売り渡された。

 ヴァヌヌは、1960年代に英国に逃亡し、そこで、ディモナ・プラントの文書による証拠をイギリスの新聞に提供したのである。
 後に、ヴァヌヌはイスラエルのモサドの女性エージェントによってイタリアにおびき出され、そこで捕らえられ、裁判を受けるためにイスラエルに連行された。
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