●クリントンに仕掛けられた罠
イギリス首相トニー・ブレアのような“友達”がいるおかげで、クリントン大統領は、独立検察官ケネス・スターの人生を悲惨なものにする必要はほとんどない。
過去10ヶ月の間、ブレアは、あらゆる手を使ってクリントンを誘い込み、イラクを相手に、勝利のない軍事行動を取らせることに成功した。
その意図は、アメリカを、ロシア・中国・イスラム世界と発展途上地域の大部分の国から孤立させることだった。
正確に言えば、世界をこの暗い時代から脱却させるためには、大統領は“ニュー・ブレトンウッズ世界財政再組織”を急ぐ必要があったが、それを実行するために大統領が同盟しなければならない主権国家群からアメリカを孤立させたということである。
ブレアは今、マーガレット・サッチャー男爵夫人が主演した悲喜劇の再上演で、主人公を演じている最中である。
1991年、サッチャー元首相は、ジョージ・ブッシュをおびき寄せて、ペルシャ湾岸戦争に突入させることに成功した。
16ヶ月後にブッシュが選挙に敗れて大統領の地位から追放されたのは、湾岸戦争の不評によるところが大きかった。
しかし、クリントン大統領が、イギリスとイスラエルが仕掛けたイラクの罠にはまったことの結末は、クリントンの弾劾を招くかもしれない。
1991年にブッシュとサッチャーが主導した、イラクに対する“勇ましい新世界秩序”の戦争は、クリントン大統領への地政学上の罠を仕掛ける結末となった。
この罠は、ロンドンがクリントン大統領を悩ませるのに何度も使われた。大統領がほとんど何をする機会にも、それは障害となった。
例えば、クリントンが、戦争狂のネタニヤフ政権をイスラエルに封じ込めようとした時がそうである。また、クリントンがグローバル財政危機の解決に集中しようとした時もそうである。
そして、イギリスがバルカン半島、北アイルランド、アフリカのグレートレーク地域で展開している“帝国グレート・ゲーム”の横っ腹を、アメリカの地域和平構想が脅かした時は、そのいずれにも干渉して邪魔をした。
●ブレアのスローガン
1998年11月14日、ホワイトハウスで、クリントン大統領は、国家安全保障顧問と会談をしていた。
それは、イラクが国連特別委員会(UNSCOM)の兵器査察官が査察を再開する約束をしたことについて、評価を定める目的であったが、BBCによれば、ブレアがその時、戦争を始めるように大統領に“9回”も嘆願したということである。
大統領は、爆撃とミサイル攻撃を開始する指示をすでに出していた。
しかし、イラクがコフィ・アナン国連事務総長に宛てた手紙がホワイトハウスに届いた時に、行動を取りやめたのである。
イラクは、10月31日に、UNSCOMの査察官にはこれ以上協力しないという決定を出していたが、あるニュースの談話では、クリントン大統領は、国連安全保障理事会の輪番制の議長国として、アナン事務総長に依頼をしたということである。
それは、アナンがイラク政府とコンタクトをとり、イラクがその決定を覆す最後のチャンスを申し出るように、という内容だった。
イラクがアナン事務総長に出した手紙は、武力行使を回避しようとするクリントン大統領の瀬戸際の努力に対する、直接の解答だったのである。
大統領は、「計画している爆撃とミサイル攻撃を行えば、1万人のイラク市民が死ぬことになる」という推定を、統合参謀本部の参謀官から聞いていた。ブレアはこれには関心がなかったが、罪のない人がもっと死ぬかもしれないという問題は、大統領にとっては切実な問題だった。
ブレアは、大統領が攻撃を一時中止する命令を出したと聞いて、ダウニング街10番地(ロンドンの首相官邸)から飛び出し、イギリスの報道官に「サダムの手紙は“受諾できない”」とわめいた。
数時間後、クリントン大統領の国家安全保障顧問サンディ・バーガーは、詰めかけたホワイトハウスの報道陣に、「サダムの手紙は、アメリカにとって“受諾できない条件がついた”ものである」と語った。
危機はまた復活し、クリントン大統領は数時間後に、イラクへの攻撃開始を再び承認した。――しかし今度は、「UNSCOMの査察拒否は撤回する」という明快な公式声明が、サダムから再び届いたのであった。
11月15日、大統領の短い演説が、ホワイトハウスからテレビで全米に放映され、クリントン大統領は、「イラクの説明は受け入れられるものである」と発表した。
●再びトライせよ
イギリスと相棒のイスラエルは、12ヶ月で4回も、クリントン大統領を“イラクのサル罠”に誘い込むのに失敗した。
しかし、ブレアは不屈の精神であった。
11月18日、アメリカ大統領を攻撃する最前線にいる、ホーリンガー社メディア企業連合の最大の目玉出版物『デイリー・テレグラフ』は、血が凍るような論説を発表した。
それは、イギリスの外務大臣ロビン・クックによるもので、イギリスは“単なる脅しではなく、爆撃する用意がある”と述べ、“バグダッドの独裁者”を倒す“コントラ”型のシークレット・ウォーを援助する準備も行っていることを誓約していた。
同じ号で、『デイリー・テレグラフ』のワシントン特派員ヒューゴー・ガードンは、クリントン大統領が、爆撃するかどうかを決定していた先週の週末、ブレアは、大統領が協議した世界の指導者の中で“最大のタカ派”だったとコメントしていた。
ブレアは、同じく18日の『ニューヨークタイムズ』のインタビューで、サダムに対する強硬姿勢を依然繰り返していた。
クリントン大統領が、イラクに対して、1991年の湾岸戦争集結以来の最大の軍事行動を取る決断をさせ、開始させるようにプッシュしているのは、トニー・ブレアだけだと言ってしまったらそれは間違いかもしれない。
しかし、大統領をイラクの泥沼に陥れようとする動きにおけるブレアの役割は、その軸となるものである。
イギリス女王と枢密院によって政権の座についた日から、ブレアは、クリントン大統領との個人的な結びつきを深めてきた。その目的は、クリントン大統領が政権について以来、数年間葬り去られていたイギリスとアメリカの“特別な関係”を復活させようということだった。
当時のイギリス首相ジョン・メージャーが、イギリスの機密書類をアメリカに不法に流して現行犯で逮捕された事件があったが、メージャーは、1992年のブッシュ再選運動の時、クリントンに関する情報をブッシュ側に流したのだった。
クリントンは、1960年代後半にローズ奨学金を受けてオックスフォードに留学していたが、その時の不愉快な経験により、イギリスのエスタブリッシュメントに対して、長年の嫌悪を抱いていた。メージャーの逮捕以来、その嫌悪は“二心あるアルビオン”へのあからさまな政治的敵意へと変わった。
ブレアは、そのダメージを回復するための主演男優の配役決定のように選ばれたのであった。
このように、ブレアは、イギリスとアメリカのマスコミによって、“第三の道”陣営の“魂の友”として仕立て上げられてきたのである。
しかし、それとは対照的に、「ブレアは、20世紀最大の公然たるファシスト指導者、ラムジー・マクドナルド首相の政治的生まれ変わり」だという見方もある。
クリントン大統領は、不幸にして、ラムジー・マクドナルドの再来である人物を、クリントンが備えて然るべき正確さでいつも見てはいない。
クリントン大統領は、ブレアに対して、明らかにソフトな態度を取っているが、それがなければ、サダムの排除を目的とする湾岸戦争を開始するように大統領に圧力をかける者は、積年の宿敵であるということがはっきり分かるであろう。
●あらゆる大統領の敵
リチャード・パールの例はその典型である。
元レーガン政権の国防総省職員であるパールは、“X委員会”のメンバーではないかと疑われていた。
X委員会は、国防総省と諜報部門のエスタブリッシュメント上層部の内部に存在し、イスラエルのスパイ・ネットワークだと現在でも見なされているグループである。
有罪判決を受けたイスラエルのスパイ、ジョナサン・ジェイ・ポラードのスパイ活動を、直接支援していたグループでもある。ポラードはテルアビブから、イスラエルの現在の外相であり、タカ派の中心であるアリエル・シャロンのコントロールを受けていたのである。
パールは、ホーリンガー社の重役だが、事実上はロンドンの“士官室”で、クリントン大統領の地位を破壊しようとする活動の宣伝部長を務めてきた。
その活動は、6年間にわたって“州警察官作戦”“ファイル作戦”“モニカ作戦”等によって進められてきた。
ホーリンガーの『サンデー・テレグラフ』のワシントン支局長アンブローズ・エヴァンズ・プリチャードは、一番おおっぴらなクリントン打倒屋であるが、クリントンの攻撃の材料に使えるような汚い話をいろいろでっち上げて、あらかた配布した。エヴァンズ・プリチャードは、“ゲット・クリントン”の地下運動を作り上げた一員であることを誇りにしており、その間ずっとイギリス諜報機関の特派員的存在であったことを認めている。
クリントン政権が、サダム・フセインを失墜させなかったことに対して、最も遠慮なく批判してきたのはパールである。
パールは、大統領がイラクと最後の対決をする数週間前に、アメリカ企業協会(AEI)の聴衆に向かって、「サダムを失脚させるか、暗殺に成功する陰の作戦を始められる機会を逸したCIAの作戦部長は解任すべきである。」と演説した。
パールは、エルサレムとワシントンにある応用戦略政治研究所というシンクタンクを通じて、イスラエル首相ベンヤミン・ネタニヤフの重要な顧問を務めている。ネタニヤフが政権についた少し後、パールは、イスラエル政府がオスロ合意を守らずに覆す方法についての政策論文の草案を書いた。
そして最近、ロンドンの『インディペンデント』は、パールが上院多数党院内総務トレント・ロット(共和党、ミシピッピー州)の主任海外政策顧問であることを暴露した。
パールの周辺には、ワシントン全体を中心とする新保守主義の団体が集まっている。
アメリカ企業協会、ヘリテージ財団、シオニスト・ロビイスト集団の近東政策ワシントン研究所、『アメリカン・スペクテーター』、戦略国際研究センター、そして、フランク・ガフニー、マイケル・レディーン、ダグラス・フェイスなどの“X委員会”と思われる人々である。
どの団体も、反クリントン造反分子“ダディ・ワーバックス(ワーバックス父ちゃん)”ことリチャード・メロン・スカイフェから、定期的に金をふんだんに受け取っている。
そして、“キル・サダム”ロビイストの中で見逃せないのが、テレビ福音伝道師パット・ロバートソン、ジェリー・ファルウェル率いる狂信的な福音主義キリスト教団体“神殿の丘キリスト教シオニスト団”である。
これらの団体や個人は、大統領に対して公然と敵対行為を行っているのに加え、イスラエルとパレスチナの和平プロセスの破壊を真剣に目指している。
これは、イツハク・ラビン首相とパレスチナの指導者ヤセル・アラファトが、1993年9月にホワイトハウスで行われた式典で、最初のオスロ合意に署名した時から続いている。
クリントンを嫌うこの悪名高き人々は、相手にされていないので、大統領をタイタニックの甲板から離れさせることができないでいる。
よって、“安物”のブレアが重要な役割を仰せつかる必要があったのである。そして、クリントン大統領が、ペルシャ湾の“サル罠”から抜け出したいと思うなら、イギリスとは即きっぱりと手を切ることが、緊急の課題である。
●“ビビ”とサダムのショー
過去10ヶ月の出来事を調べてみると、結論としては、現在進行中の“イラク危機”は、ロンドンが作っていることを証明しており、さらに、イスラエルのネタニヤフ政府と、クリントン大統領を罠にはめる活動の中心となっているイスラエルの手先が、協力して行っていることを証明している。
クリントン大統領は、ネタニヤフを封じ込め、ワイ・プランテーション合意に署名させ、オスロ和平プロセスを復活させるのに成功した。しかし、そのわずか数日後にイラクとの対決が始まった。
その最近の様相を観察すれば、イギリスとイスラエルの機関が、イラクに関する“仕事”を指先でコントロールしている事実の糸口をつかむことができる。
11月3日、クリントン大統領は、選挙に劇的に勝利し、ロンドンの指揮する弾劾攻撃に痛手を与えた。
その時、ロンドンにいるクリントンの敵にとっては、イラク戦争に向けた最初の一手を打つことが緊急課題となった。敵とは、国際財政少数独裁者集団の中枢、クラブ・オブ・アイルズである。
その罠はどのようにかけられたのか。
まず、ぶきっちょなイスラエルの挑発が、UNSCOMの査察チームによって始まった。それは、サダムに予定通りの反応をさせる作戦であった。
1998年からのゲーム展開の中で、イギリス=イスラエルの策謀において最も活躍していたフォワードの一人は、UNSCOMの査察官スコット・リッターだった。
リッターは、イスラエル諜報機関のスパイであり、イスラエルが手を加えた情報を、UNSCOMの査察機関に流していたことを公然と認めていた。
10月11日と12日、『ワシントンポスト』は、リッターについての相当詳しい調査内容を発表した。
イスラエルがリッターを雇ったこと、リッターがアメリカの政策関係者を裏切っていること、1998年8月に、イラクを孤立させる工作員として登場したことなどを暴露した。
この書類を、筆者のバートン・ジェルマンに提供したのは、クリントン政権内部の人間で、リッターが、イスラエル主導の汚い策略をやったことに腹を立てての行動である、というのが通説だった。
その一件が対決の様相を帯びてきた10月、国務長官マデリン・オルブライトの良き助言者であるズビグニュー・ブレジンスキーは、アメリカの全国版のテレビに出演した。
そして、リッターはイスラエルのスパイであり、湾岸でのアメリカの利益における裏切り者であると言って非難した。
リッターは、1991年の湾岸戦争の退役軍人で、現在は海兵隊の予備隊にいる。UNSCOMには、設立当初から関わっている。リッターの家系はイスラエル系で、これそのものがすでに挑発に値する。
策謀は、他にも行われていた。
10月31日には、イラクがUNSCOMへの協力を拒否したが、その数週間前に、UNSCOMの委員長リチャード・バトラーが、ある計略を実行した。
イラクの副首相タリク・アジズによれば、バトラーは、偽の書類を使って、イラクに詳しいイスラエルの有名な軍事スパイ3名または4名をイラクに入国させている。その際に、UNSCOMのニセのIDカードも用いたというのである。
これは、イスラエルのスパイ活動の隠れ蓑としてUNSCOMを利用するのを許可したのと同じことではないか!
バトラーがやったことは、単純なものではない。実際、1年前に始まったイラク危機は、バトラーの積極的な関与がなかったら、実現していなかった。
バトラーは、以前はオーストラリアの生え抜きの外交官で、国家機密に関わる大使の職に就いていた。その後、ジェノバで行われた国連軍縮会議でオーストラリア代表を務め、1992年にオーストラリアの国連常任代表となった。
そして1997年7月1日に、UNSCOMの委員長を引き継いだ。
そして、即座に外交典礼のすべてを破り、イスラエルの新聞に、扇動的な声明を発表した。それは、イラクが生物兵器と化学兵器を大量にストックしており、“テルアビブ”を吹っ飛ばす発射システムも十分整っている、という内容だった。
イスラエルのメディアとのバトラーの“ワルツ”は、国連安全保障理事会の後ろ盾によってなされたものである。そして、バトラーがやったことは、UNSCOMのポストから即刻下ろされてしかるべきものだった。しかし、その時点で、すでにイスラエルとイギリスのメディアは走り始めていたのだった。
●キッシンジャーの失言が繰り返される
「イラクが協定に違反して兵器を所有している」という、かなりあやしい“証拠”をバトラーが流したことにより、イギリス外務省が、1998年2月より戦争のプロパガンダを次々と行い始めた。
この中で、イギリス外務省がアメリカ国務省に勢力を伸ばしているのはなぜか、という疑問に答えるような重大な失言がなされたのだった。
イギリス外相クックは、2月4日、“イラクの脅威とUNSCOMの業務”というタイトルの白書を発行した。それは、イラクが大量破壊生物化学兵器を所有しているという、リッターの雑な未確認の主張から始まっていた。
8日後に、アメリカ情報局(USIA)が、“事実経過:イラクとUNSCOMとの記録”という文書を発行した。その冒頭の2ページは、ほとんど一字一句クックの白書と同じで、出典は明記されていなかった。
国務長官キッシンジャーの時代以来、イギリスがアメリカ国務省に、これほど露骨に侵入したことはかつてなかった。
クリントン大統領がアジアを訪問している最中は、イラクとの対決は静まっていた。しかし、イギリスとイスラエルの宣伝要員と、ワシントンにいるスパイは、爆撃の圧力をかけ続け、イラクの現場で全面的な“コントラ”運動を推し進めている。
アメリカ議会におけるネタニヤフの親しい仲間であるニュート・ギングリッチは、下院議長としての最後の仕事として、9700万ドルを供出する法案を強引に可決させた。その法案は、サダムを倒すためのイラク“コントラ”に資金供給するのが目的である。
すでに、そのうちの約200万ドルが、アメリカ情報局(USIA)に割り当てられ、今存在しているイラン“コントラ”を支援するための“対世論外交”に使われる予定である。
もし、クリントン政権の国家安全保障担当者が、“コントラ”“対世論外交”などの言葉を聞いて、背筋に寒気が走らないようであれば、それは大変な問題である。イラン・コントラの大失敗から学べるはずだった課題の再履修コースを受けるべきである。
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