●ロシアの移行期が始まる
1998年8月17日、当時の首相セルゲイ・キリエンコは、事実上の支払不能を宣言した。これによって、アジア危機は単にアジアだけのものだという主張が、浅薄で役に立たない議論だということが決定的になった。
ロシアの財政崩壊という現実は、投機が支えていた“政治的自由主義”の時代の終わりを宣言した。“ラディカルな自由主義者”を標榜していた“民営化の詐欺師”“人権の扇動家”の時代も、もうすでに終わったのである。
エフゲニー・プリマコフが首相に任命されたことは、突然の移行期が始まったことを表している。しかも、社会状況、経済状況が非常に厳しい中で、突然に移行が始まったのである。
何百万というロシア人は、ほとんど直感によって理解している。自由主義はすでに崩壊し、信用を失った。その自由主義システムが、何か別のものに移行しようとしているのである。
この“何か”というのは、何だろうか。それは、国の崩壊を伴うような大惨事か、新しい経済原則に基づいた再構築である。
●“あなたはどうして加わらなかったのか?”
政権に就くに当たって、新首相プリマコフは、今度の政府は、正式な党の連立でもなければ、一党独裁的なものでもなく、プロフェッショナル集団だということを強調した。い
ろいろな党から、人材を引っ張ってくるという意味らしい。
しかし、それは“一極主義”のためではないとのことである。政府の人員は、経済、金融、科学、社会問題に長けていて、その視野の広さによって、緊急を要する仕事に、確実で創造的な対応ができるということである。
ヤブロコの代表グリゴリー・ヤブリンスキーと、国家会議(下院)の「わが家ロシア」の代表アレクサンドル・ショーヒンも、内閣に加わるように招待された。
ヤブリンスキーは、自由主義エコノミストで、議会内に自分の派閥を持っている。ショーヒンは、ビクトル・チェルノムイルジン内閣時代に副首相を務めた人物である。
しかし、ヤブリンスキーは、その招待を断った。自分が率いている党の人間と組むのでなければ、承諾できないというのがその理由だった。
一方、ショーヒンの方は、副首相の地位を承諾した。しかし、そのすぐ後に、共産党員である第一副首相ユーリー・マスリュコフと協力するのは気が進まないという理由で、突然副首相を辞退したのだった。
ところが、マスリュコフは、単なる内閣専門の共産主義者などでは全くなく、防衛産業と軍需品の取引にかけては、非常に優秀なスペシャリストなのである。
よって、ショーヒンはその本当の理由については明らかにしていないが、何か他の理由があったことは明らかである。
マスリュコフが、以前ゴスプラン(ソ連時代の国家計画委員会)の委員長をしていたからだろうという議論もあるが、それは的外れな議論である。
ショーヒンが国家会議で代表者を務める団体そのものが、もともとゴスプランの元副委員長レオナルド・ヴィッドが率いていたものだからで、これだけを取ってみても、的外れであることがわかる。
10月上旬、国家会議の議員であるガリーナ・スタロボイトワは、プリマコフを公然と批判していた。スタロボイトワは、かつては力を持っていた民主ロシア運動の生き残りのリーダーである。
彼女は、プリマコフが内閣に民主主義者を入れていないということで、プリマコフを非難していた。
プリマコフは、彼女に丁寧に説明した。
「かつて有名な民主政治家を内閣に招待したことはあったけれども、その人たちは、当時の状況に責任を取るのを好まなかった。また、国際機関に約束をして、それを破った民主主義者の人たちもいた。これでは招待にふさわしくない。」
お察しの通り、外交上手なプリマコフは、悪名高きロシア国債、GKOを発行した責任者、元第一副首相兼蔵相アナトリー・チュバイスとその仲間のことをほのめかして言ったのである。
自由主義の政治家は、彼らが推奨していたショック療法と投機政策が終わったことを理解しているのだろうか。確かに理解はしている。しかし、権力の地位に残り続けることの方が、重要なのである。
これは、チュバイスのグループが、権力の地位を確保するために、地域レベルで必死の努力を続けたことでもわかる。その地域というのは、彼らの多くの出身地、サンクトペテルブルグのことである。
サンクトペテルブルグの市長選挙のために結成された議員連合で、スタロボイトワがリーダーを務めるシーベルナヤ・ストリーツァ(「北の首都」という意味)は、この目的のために作られたものである。
しかし、選挙団体の登録の期限になっても、シーベルナヤ・ストリーツァは、登録されていなかった。そこで、スタロボイトワは、サンクトペテルブルグを囲んでいるレニングラード州の知事に立候補することにしたのである。
疑問は同じである。
「なぜあなたは加わらなかったのか?」
しかし、これは今となっては、チュバイスからスタロボイトワへの疑問であろう。
●咳の恐怖
民営化促進論者は、今や信用を失って神経質な気分になっているが、その背景には、明らかに二つの理由がある。
まず、プリマコフ政権が、民営化政策の結果に疑問を持っていたからである。この民営化政策は、少なくとも見た目には、チュバイスのチームが進めてきたものである。
もう一つの理由は、検察庁長官局が、有名な民主主義者の政治家数名の調査を行っていたからである。
その中の一人、セルゲイ・リソフスキーは、1996年の大統領選挙の前日に、ゼロックスのコピー用紙の箱の中に50万ドルを隠し、運搬していたことにより逮捕された。
また、リソフスキーの親しい仲間アルフレッド・コーキは、元国家民営化委員会の委員長で、今はアメリカに身を隠している。
そして、元サンクトペテルブルグの市長アナトリー・ソブチャックは、1年前、密かにサンクトペテルブルグから逃れ、ヘルシンキ経由でパリに渡った。
チュバイスとその仲間が、新たな政治家としてのキャリアをスタートする機会がまだ残っているとしたら、それは唯一、ショック療法のような心理的麻痺状態が思いがけなく起こった時だけだろう。
もう一つ考えられる要因は、ボリス・エリツィン大統領の健康状態である。これは壁にかかった銃のようなものである。ゲームが終わる前に、発砲することは確実である。そのエリツィン大統領に、チュバイス一家の政治生命はかけられている。
後者については、事態は一層悪くなっている。
以前、エリツィンの側近が、政治的意図をもって、エリツィンの健康状態について虚偽の報道をしたことがあった。このことは、国民の不信感を高めることになった。
しかし、大統領が、スウェーデンで十分に役目を果たすことができなかったことや、中央アジアへの旅の間に倒れた後、エリツィンの“インフルエンザ”についての報道は、もっと深刻な解説がされるようになった。そして10月には、その秘密は、公然の事実となったのである。
大統領の健康状態が良くなる見込みがないということは、政界の状況を一変させてしまった。
大統領府長官ワレンチン・ユマシェフなどのエリツィンのスタッフは、2ヶ月の間、ほとんど公式の場には出てこなかった。
次々と一時解雇がなされていくという現状は、政府が“パラレル政府”としての通常の役割を、もはや演じることができなくなったことを表していた。これは、財界人ボリス・ベレゾフスキーが、国の政策に介入するための手段として、政府を利用できなくなったということでもある。
一方、プリマコフは、ベレゾフスキーの援助にはあまり関心を持っていないことを明らかにした。
●マカショフ作戦とベレゾフスキー暗殺未遂
チュバイスとベレゾフスキーに、突然の好機がやってきた。
それは、共産党ロシア連合(CPRF)の党員、アルベルト・マカショフ将軍が、いつもの粗野な態度で、ロシアの財政における少数独裁者9名を告発したことから始まった(そのうちの何名かは、すでに少数独裁者ではなくなっているが)。その9名が、国際シオニズムとつながっているということを槍玉に上げたのである。
マカショフは、シオニズムというのは、軍隊と同じようなもので、民営化と経済崩壊の背後にある、最大の悪の勢力であると主張した。
しかし、マカショフがユダヤ人に対して怒り狂った一件には、新しいものは何もない。というのは、マカショフは、今の共産党が設立される2年前の1991年、大統領選に立候補したが、その時に反セム人の後援者として、名声を得たからである。
さらに、1917年の10月革命についてのマカショフの演説が、テレビで放映されたが、この一件によって、自由主義者に政治的策略を企てる機会を与えた。
NTVは、ヤブリンスキーを2000年の大統領として公然と推薦し、ベレゾフスキー関係者の支配下にあるORTテレビは、一致団結して、共産党全体を批判した。「共産党はマカショフを大目に見て、ロシア国内にいるユダヤ人を完全に追い出すというのでなければ、迫害も差し支えないという態度を取っている」と言って、非難したのであった。
世界的なマスコミはこのように声をそろえて非難したが、それは馬鹿げたことだと言わざるを得ない。
10月16日にサンクトペテルブルグで、ユダヤ人のアシスタント、ミハイル・オシェロフを部下に持つ、国家会議の議長ゲンナジー・セレズニョフが命を狙われた。
セレズニョフは、共産党ロシア連合の党員である。セレズニョフは、今も軍の外科アカデミーで治療を受けている。マスコミの報道が正しいとしたら、このようなことは起こらなかったはずである。
“反セム主義”を攻撃する宣伝活動がピークに達した時、チュバイスとベレゾフスキーは、共産党ロシア連合を解体するべきだと主張した。共産党ロシア連合が、“ナチ党”化しているからだというのである。
2人の希望が実現したら、政治の舞台は、チュバイスの一派にとっては、ずっとやりやすいものになる。特に、議会の選挙が臨時に行われることになった場合はなおさらである。
この“マカショフ作戦”の戦略効果は、他にも発揮された。
1ヶ月前、共産党ロシア連合の委員長ゲンナジー・ジュガーノフと、モスクワ市長ユーリー・ルシコフが、2000年か、それ以前に行われる大統領選挙において、連立を組むかもしれないという発表を行っていた。
“ルシコフ大統領”こと、モスクワ市長は、かつてチュバイスの民営化政策を何度も非難し、市政のレベルでは避けることができるように、あらゆる努力を繰り返してきた人物である。このような人物が、チュバイスを今後助けるようなことをするとは思えない。ルシコフの選択は、ベレゾフスキーからも機会を奪うものであった。
しかし“マカショフ作戦”の重圧の中、ルシコフとジュガーノフは、協力する計画を公式に取りやめた。しかし、それは協力の可能性が全くなくなったという意味ではなかった。
ベレゾフスキーは、(未来の大統領、今の首相に対して)自分の現在の役職である、“独立国家共同体の事務局長の役割”というものは、CISの統合にとって、極めて重要であるということを宣伝する努力を始めた。
ベレゾフスキーの支配下にある『ネザビシマヤ・ガゼータ』紙には、レーニード・イリイチ・ブレジネフに匹敵するような大きさのベレゾフスキーの写真が、紙面を飾るようになった。
反セム主義という、マカショフの一件の表面上の目的は、ベレゾフスキーにとっては、自分の必要性のために利用できるものであった。
次に、ベレゾフスキーは、各国のマスコミがスキャンダルとして喜んで取り上げるような、陳腐な話を持ち出した。
これは今年の5月22日に遡るが、『コムソモリスカヤ・プラウダ』に、スリリングな記事が掲載された。連邦保安局(FSB)の局員数名が、ベレゾフスキーの暗殺命令を受けていたことが発覚したという内容であった。
しかし、11月14日になって初めてようやく、ベレゾフスキーはFSB長官ウラジミール・プーチンへの公開状を発表した。そして、11月17日には、この一件を遺憾に思っている数名の局員がORTテレビに出演し、“国の半分を横領したベレゾフスキー”の暗殺命令を受けた経緯と、その命令をはっきりと断ったことについて説明した。
では、FSBがその残酷な命令を出したとしたなら、その局員たちがその命令を英雄のように格好よく断った時に、なぜ殺してしまわなかったのかという点が不明である。少なくとも隔離か、あるいは殺害しているはずである。
謎は他にもある。
FSBの中で、ベレゾフスキー関係の人間だとわかっている局員に、そのような犯罪的な仕事が与えられるというようなことがあるだろうか。
最後に、もう一つおかしな点がある。ベレゾフスキーが公開した手紙では、主に検察長官局が非難の対象となっている。その中でも、特に調査部長であるミハイル・カーチェフが攻撃の対象になっているが、カーチェフは、元サンクトペテルブルグ市長アナトリー・ソブチャックの汚職に対して、有名な訴訟を起こした人物である。
FSBが暗殺未遂事件の元凶なら、なぜベレゾフスキーはこのような手紙を書いたのだろうか?
●ロシアを作り変える人々が、真実を作り変える
ロシアのマスコミの中には、ベレゾフスキー暗殺未遂に疑問を表明しているところもあった。しかし、突然他のスキャンダルが持ち上がって、関心がそちらにそらされてしまったのである。
民主革命のゆりかご、発祥の地であるサンクトペテルブルグは、その子供たちを食べ始めた。ロシアで2番目に大きな都市、サンクトペテルブルグで、9月から立て続けに暗殺事件が発生した。
そして11月20日、知事候補ガリーナ・スタロボイトワの暗殺が起こったのである。
この殺人が政治的感触を持っているということは、11月24日のロンドンの『ガーディアン』の記事がよく表している。見出しは「ロシアを作り変える殺人」で、これがこの事件についての解説である。
記者のジェームズ・ミークは、1991年にスタロボイトワとロンドンで会ったこと、そして1993年にベニスで二度目に会った時のことを、懐かしくつづっている。
ロシアの伝統では、死んだばかりの人について悪く言うのはよくないことだと思われている。特に、その人が殺された場合はなおさらである。しかし、私はスタロボイトワについては、こう言わざるを得ない。
スタロボイトワが権力を握ってロシアを作り変えた場合、どうなっていたであろうか。
アルメニアではレウォン・テルペトロシャン、アゼルバイジャンではゲイダル・アリエフが政権に就き、国を作り変えた。または1991年、チェチェンにおいて流血の反乱が勃発し、スタロボイトワの友人ドゥダエフ将軍が、不法で野蛮な独裁政治を樹立するのに成功した。
このようなプロセスをもって、ロシアは作り変えられていたはずである。
亡くなった人に対して、過去の嫌な出来事を言わせていただく唯一の言い訳は、コーカサスで起こった災害で、罪のない赤ちゃんを含め、数千人が亡くなったという事実である。
その人たちは、バクーに本社のあるブリティッシュ・ペトロリアムのコーカサス社の利益のために亡くなったのだと思われる。あるいは、ボリス・ベレゾフスキーと、アリステア・マキャルパイン卿の2人が、“コーカサス共通市場”と呼んでいるものを作り上げるためだったのかもしれない。
スタロボイトワを殺した犯人を見つけることは非常に難しいと思われる。
犯人は、コーカサスの難民で、家も家族も生活手段もすべてを失い、やけくそになった人だったのかもしれない。すべてを失って、憎しみだけが残ったのである。
しかし、最大の疑問である「誰の利益になるのか?」という疑問は、他の方向を指し示している。
スタロボイトワの死は、今のところ政治的に利用されてはいないが、深刻に、またヒステリックに扱われている。
モスクワからヤブリンスキーが葬式に到着したが、その時、他の自由主義者と一緒に来なかったのは賢明であった。そこでは、テレビカメラがヤブリンスキーを待ちかまえていた。カメラマンは、ヤブリンスキーが、勢揃いした民営化の政治家たちに囲まれて、溺れる者が藁をつかむように、棺をつかむ姿をとらえたかったのである。
ヤブリンスキーは、ここで政界から消えることにはなりたくなかったようである。
しかし、その葬式に、元首相チェルノムイルジンが、元副首相ボリス・ネムツォフ、元首相キリエンコと一緒に到着したのであった。
チュバイスは演説の時、怒り狂い、怒鳴っていた。チュバイスは、暗殺の次の日には、モスクワ劇場で行われた追悼集会において、「全民主主義勢力は、早急に“中道右派”連合(もはや“急進的自由主義”連合ではない)として、団結しなくてはならない」と叫んでいたのである。
しかし、11月25日にモスクワで行われた記者会見では、そのチュバイスが、チェルノムイルジンとショーヒンと並んで座っていた。チェルノムイルジンは、わずか数週間前に彼らと手を組み、協力関係にあったルシコフと離れたのである。
チェルノムイルジンは、記者会見において、新しい協力関係を結んだことを発表した。これは“葬式同盟”と呼ばれてもおかしくない。そして、「我々は、憲法改正と、大統領選と国家会議の同時選挙を主張する」という発表を行った。
共産党は、これと同じような“異端”の主張をしてきたが、マスコミからは激しく攻撃されてきた。しかし、亡くなった人の墓の前に立っている人々は、攻撃されないものと思われる。
新しい墓が、これ以上できないことが望ましかった。しかし、墓はコーカサスにではなくて、サンクトペテルブルグにできることになった。
10月、セレズニョフの選挙運動のスポンサーのドミトリー・フィリッポフが、10月に頭に3発の銃弾を受けて殺された。誰が気にかけるだろうか。スタロボイトワが暗殺される前の最後の犠牲者になったのは、セレズニョフのアシスタント、ミハイル・オシェロフだった。
ジャーナリストは世界中に無数にいるが、そのジャーナリストの中で、マカショフの演説とスタロボイトワの暗殺とを結びつけて考える人が一人でもいただろうか。そして、ユダヤ人が犠牲者となったこの事件を取り上げるジャーナリストが一人でもいただろうか。それとも、共産党ロシア連合の党員の援助をし、反セム主義の攻撃から自動的に免除されるのは、ユダヤ人なのだろうか。
●スキャンダルのカレンダー
3週間の間に、三つのスキャンダルが不思議なほど連続して起こった。どれも、チュバイスとベレゾフスキーの希望と意図に、ちょうど合ったものばかりである。
この後に、中国の国家主席江沢民がモスクワに訪問した。
この三つのスキャンダルは、MIRVed 悪臭弾のように発射された。共産党を狙ったのでもなく、国家会議でもなく、安全保障機関を狙ったのでもない。これらのスキャンダンルの進展の仕方や、そのロシア国内での強調のされ方、それを強調した人間、そして外国のマスコミが相当の悪意を加えて解説したこと、これらを見るに、実際のターゲットは、政府の上層部だということは間違いない。
政府は、ロシアの未来について、そして全世界の未来について討論しようとしていた。中国の国家主席と共に。
モスクワと北京の会談の結果は、多かれ少なかれ、励みになるものだった。
しかし、もしプリマコフの敵が、プリマコフの代わりに、アル・ゴアの親友チェルノムイルジンを首相にすることに成功するとしたら、中国が提案した、新しい世界経済システムのための戦略的同盟の締結は、流れることになるだろう。
MIFがロシアに指令を出した改革の間中、外国に雇われた民営化論者の有力者は、彼らの政敵が、野党の立場を利用して、批判と暴露のやりたい放題なのを見て、泣き叫ぶだろう。国の破壊につながるかもしれない危機によって、今や彼らは追い出されてしまったのである。
彼らは必死の努力をしているが、そのどれをとってみても、彼らが国や経済の回復については考えていないことをよく表している。彼らは、政府を浸食し、カオスを作り出すことを望んでいるのだと思われる。彼らの主人、海外のアドバイザーを見るがよい。彼らは、同じことを望んでいるように見えないだろうか。
ロシアの自由主義者は、葬式という問題を抱えている。彼らは、何代にもわたって、人々の記憶に残りたいのである。
しかし、もし彼らがお互いを出し抜こうとするなら、人々の記憶の中の彼らの大きさは、台所から食糧を盗む民主主義の昆虫の大きさにもならないだろう。長い目で見れば、彼らには何の利益もないのである。たとえ、彼ら全員が、見知らぬ“反セム主義”の兵士のために、ただちにお互いに殺し合ったとしても。
ロシア語では「ペセンカ・スペータ」というが――「歌は終わった。」
彼らの時代は、終わったのである。
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