1991年1月、アル・ゴア上院議員(民主党、テネシー州)は、ジョージ・ブッシュのイラク人大量殺戮戦争“砂漠の嵐”に、民主党同盟派が全面的に荷担するように指揮を取った。
攻撃が終了した数ヶ月後、ゴアは、1991年9月19日に上院会議場で行われた演説において、ブッシュ大統領がイラクを再び暗黒時代に戻すように圧力をかけた。
ゴアは、ブッシュの戦争を支持する方に投票を変えた時には、“モラルの危機”を経験したと言っていた。
そのゴアが、今ではブッシュがノーマン・シュワルツコップフ将軍(現在は“サー”・ノーマン・シュワルツコップフ)のアドバイスに従わなかったと言って、厳しく非難している。シュワルツコップフは、バグダッドに入って、サダム・フセインを消そうと言ったのであった。
ゴアは、サダムに対する戦争犯罪裁判を始めることを呼びかけ、イラクを孤立させるためのイラク制裁を要求した。
当時ゴアは『バランスの中にある地球』という本を書いていたが、それが完成間近となっていた。
それは、第三世界の開発について警告した「緑の“わが闘争”」というようなものだった。すっかり環境問題専門家になっていたゴアは、イラクが“知識とテクノロジーにアクセス”するのを妨害することを提唱した。
ゴアはこのように言った。
「一般的に言って、世界は、イラクが宇宙科学や核物理学の分野で貢献することを必要としていない。実用の分野でも応用でも同様である。アメリカは、イラクが今後このような分野で活動することを完全に妨害しなければならない。イラクが設備、サービス、訓練、これは大学における訓練も含むが、それらに関して、進んだ能力を持つ国に依存するようになるまで、妨害しなければならない。」
ゴアは、「イラクの科学と工学のある分野は、大量破壊計画を目的とするプログラムのための蛇口となっているとしか考えようがない」と主張した。
1991年に、ゴアの長年の立法アシスタントで、現在ゴアの国家安全保障顧問を務めているレオン・フエルスは、第三世界にテクノロジーを提供することに対する嫌悪をあからさまに語った。これは彼の意見でもあるし、ゴアの見解でもある。
フエルスは、彼の性格として知られている粗野な態度を突然現し、記者に言った。
「兵器の技術を手に入れたいと思っている国々が、非常に容易な隠れ蓑として、二通りの使い道の質問を使っている。非難をすることが彼らに経済的なダメージを与えることになるのなら、私は彼らをけなさないようにする。」
砂漠のキツネは12月19日に始まった。これはイラクを叩く行動の最終段階であった。
その際に、フエルスとゴアは、クリントン大統領がイスラエルにいる間に自分たちが中心となって、“代表者委員会”緊急会議を開いた。この状況は、彼らの計画であるイラク爆撃に反対する人たちを撃退するのに都合のいい状況であった。
信頼できるワシントンの情報筋によると、フエルスと他の長年のゴアの顧問たちは、クリントンが11月13日にイラク爆撃中止命令を出した時のように、攻撃の邪魔をさせないように決めていたということである。
ゴアは“最後までやる”ように精魂を傾けており、サダム・フセインを倒し、イラクを国際社会で孤立させない限りは、納得しないだろう。
この計画におけるゴアの腹心の友の一人はマーティン・ペレッツである。ペレッツは右翼シオニストで、『ニュー・リパブリック』誌の発行人である。彼は、クリントンが砂漠のキツネ攻撃をほんの70時間で終わりにしたことを激しく非難した。
ゴアはペレッツを“良き助言者”と認めており、“安全ペレッツは保障委員会”の一員である。
安全保障委員会とは、元レーガン政権のスタッフ、リチャード・パールとポール・ウォルフォウィッツが1998年に始めたものである。この委員会は、クリントンに圧力をかけてイラクと戦争させるようにするために作られた。そして、イラクの現体制を全面的に降伏させ、倒すことを目的としている。
これがクリントン大統領がつかまされている政策であり、彼らがゴアを大統領にしようとしている動きなのである。
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