●“思いやりのある保守主義”
6月12日、テキサス州知事ジョージ・W・ブッシュは、アイオワ州シーダーラピッズの演説で、次のように言った。
「私は大統領選に立候補しています。……私はアメリカの次期大統領になるつもりです。」
元大統領サー・ジョージ・ハーバート・ウォーカー・ブッシュの息子であるブッシュは、“思いやりのある保守主義”という、特徴的なスローガンを打ち出した。
ブッシュは、シーダー・ラピッズの演説で、主眼点を強調する際に、“思いやり”という言葉を12回使い、“保守的”と“保守主義”という言葉を10回も使った。
ブッシュは、群衆を喜ばせるその“保守主義”について自慢しているが、その保守主義は、生活保護を受けている人と、刑務所の受刑者には厳しいという性格を持っている(ブッシュは、福祉改革に3回言及した)。
“思いやり”というのは、人々から福祉を奪っておいて、「まだ残っている苦悩に直面している慈善事業と教会に味方する」という意味である。そして、犯罪者には「懲戒と愛をセットで与える」ということである。
ブッシュは、教会が、貧しい人たちと受刑者の世話を行っていることについて説教した。そしてその一方では、「政府は、企業と事業家と家族が夢を描き、繁栄することができるような環境を作ることが可能である」と説明した。そして、「自由貿易を行えば、我々は繁栄する」と彼は言った。
しかしブッシュは、その演説の中で、実際の生活と同じように、あることを忘れていた。それは、ブッシュの選挙民も、経済状況で苦しんでいるという事実である。
ハーレー・シュランガーが、『ニュー・フェデラリスト』の3月22日号で書いているが、テキサス州の二大産業である石油とガス、それと農業は、現在崩壊しつつある。
石油産業とその関連業種では、相当に多くの人たちが失業している。油田は次々と埋められ、破産する会社は激増している。石油産業雇用者からの税金が入ってこないので、学校と病院は、閉鎖せざるを得なくなっており、政府は公共事業を取りやめざるを得なくなっている。
綿・小麦・牛が、歴史的な低価格になっているので、銀行は、農業労働者への貸付を更新しようとしない。テキサス州農業委員スーザン・コウムズは、テキサス州の農業労働者の15%が、今年になって農業をやめたと推定している。
このような状況にあっては、テキサス州では、生活保護受給者への支払い額が殺人的に減少し、受給者の死亡率は大いに増えると思われる。
テキサス州の受刑者は、レイプ、殴打などの野蛮な扱いを絶えず受けており、事実上の奴隷取引の対象となっている。よって、今年の3月1日、アメリカ地方裁判所裁判官ウィリアム・ウェインは、「全テキサス州の刑務所制度は、残酷で通常でない処罰を禁じた合衆国憲法に違反している」という裁定を下した。
ブッシュと、同じく“福祉改革”を掲げている仲間であるアル・ゴア副大統領は、“脱工業化ユートピア”という妄想を抱いている。そのユートピアでは、インターネットが実体経済に取って代わり、ダラスなどでは、フェラーリを乗り回すような悪魔的な殺人ビデオゲームの制作者が、繁栄した共同体を作るのである。
ヘイ、怠惰な経済的敗者は、なぜこのような未来を享受できないのだろうか。
●導師マービン・オラスキー
“思いやりのある保守主義”は、ジョージ・W・ブッシュが大統領選挙運動のスローガンにする前に、ニュート・ギングリッチとアリアンナ・ハフィントンが掲げたスローガンである。
ニューエイジのこの右翼的なマントラを大いに普及させたのは、テキサス大学の奇怪なジャーナリズム学教授、マービン・オラスキーである。オラスキーは、ブッシュ知事の良き友人であり、また“思いやり”の先生でもある。
5月14日の『テキサス・オブザーバー』で、マイケル・キングはオラスキーの言葉を引用している。それによれば、オラスキーの中心的なメッセージは、次のとおりである。
「今日アメリカでは、貧しい人たちが、私生児の出産と、妻子の遺棄を行っており、同時にその犠牲者となっている。……
しかし、彼らは飢えや渇きで苦しんでいるわけではないし、好き好んでやっている場合を除けば、裸でもないし、不衛生でもない。また、親の虐待で悩んでいるわけでもない。」
オラスキーは、厳格なユダヤ人として育てられたが、無神論者となり、次には共産主義者となった。オラスキーはモスクワに行き、デトロイト地区で行われる共産党アメリカ会議に出席していた。
その後オラスキーは“キリスト教右派”となり、最終的にはギングリッチ保守革命の“皇太子”となったのである。
オラスキー教授は、『ワールド』という、“福音主義的”な雑誌の編集主幹でもある。1996年、オラスキーは自分の変節について、あるコラムの中で書いている。
「私はこの道を躊躇しながら通ってきた。ある時は、古典的な西部人を観察したり、実存主義者のクリスチャンの本を読んだりもした。」
1989年から1991年まで、オラスキーは、ヘリテージ財団に勤務していた。オラスキーが1992年に出版した『アメリカの思いやりの悲劇』は、ヘリテージ財団が企画したものである。その本の序文を書いたのは、『ベル・カーブ』の共著者で、人種差別主義者の専門家チャールズ・マーリーだった。
ブッシュ候補の国内政策顧問主任は、インディアナポリス市長ステファン・ゴールドスミスである。ゴールドスミスは、急進的な民営化計画と、従業員の大幅な賃金カットで有名な人物である。
ブッシュは、オラスキー教授の冒涜的な“キリスト教”という美名に隠れて、ゴールドスミスがやっているような政策を押しつける際に、“家族の伝統”という言葉を繰り返す。
大恐慌の時に、ブッシュの父と祖父が、家族用のリムジンで、失業した下層階級の崩壊した家並のそばを走っている時の話である。祖父プレスコット・ブッシュは、「貧乏人が貧乏になっているのは、ちゃんと金を稼げなかったからそうなっているだけだ」とよく説明していたそうである。
●空っぽの器……
マスコミは、「ブッシュは、共和党の最有力候補だ」と持ち上げているが、ブッシュのスポンサーの間には、大きな緊張が存在している。それは、いくらか頭の鈍い男が、絶対に避けては通れない思想戦を、公の場でどうやって行うのかという問題である。
『テキサス・マンスリー』の6月号に、ブッシュの選挙運動に好意的な記事が載っている。その記事には、ブッシュの友人たちが、ブッシュの“脳足りん”問題に対して、極めて慎重にアプローチしている言葉が引用されている。
ロバート・マッコーラムは、次のように述べている。
「ジョージは、知的政策が好きなカタブツの類だとは思われていなかった。大学時代のジョージは、人から学ぶ時間が多かった。本の好きな人間は、ブッシュは不真面目な学生だと思っていたが、ブッシュは、人から学ぼうとする真面目な学生だった。」
『テキサス・マンスリー』は、勇敢にもブッシュを擁護している。
「ブッシュは、カタブツの政策屋ではない。ブッシュは、計画よりも、アイデアを好んでいる。ブッシュにとって、リーダーとは、課題を設定して、政策に関する大ざっぱな声明を少なめに行い、詳細については、立法府である議会に任せる人物である。」
ハーバード・ビジネス・スクールで、ブッシュの同級生だった、インディアナポリスのアル・フッバードは、ブッシュの大統領選の予備運動の会議のセッティングをやっていた人物である。彼は次のように言っている。
「ブッシュは、優秀な学生ではなかった。しかしブッシュは、私が一緒に仕事をした中で、最も良心的な政治家だ。」
元FRB議長で、ブッシュのアメリカ経済顧問主任であるローレンス・B・リンゼーは、「ブッシュは、忍耐強くて大変いい学生だった」と表現している。
現在、フーバー研究所の元国務長官ジョージ・シュルツは、選挙運動の顧問がよく言うように、こう言っている。
「この世界で起こることについて、すべて知っている人間は誰もいない。だから、そういうことは、自分で解明しなければならないのである。」
ブッシュは、父親と同じように、エール大学のスカル・アンド・ボーンズ・ソサエティと、DKEフラタニティに所属していた。しかし、ブッシュが興味を持っていたのは、ビール、フットボール、女の子、新入生をいじめることだった。
友人のクレイ・ジョンソンは、「ブッシュは、男っぽい存在だった」と言っている。
ブッシュは卒業した後に、「私は根無し草だった。私は何の責任も持っていなかった」と語っている。
「大学での日々は、ワイルドで、エキゾチックだった。……私は[麻薬を]やったかもしれないし、やらなかったかもしれない。」
ブッシュは、1978年の議会選挙には落選したが、選挙活動の中で渉外と広報活動のやり方を学んだ。
投票者は、ブッシュの父親のようなヨーロッパのエリート主義者は好まないということをブッシュは理解した。よって、ブッシュは、“普通の庶民”というポーズを取るようになり、自分が知的でないことを、美徳の一つとして考えるようになったのである。
1986年、ブッシュは40歳の時に酒をやめた。1988年の大統領選挙運動では、ブッシュは父親の“相談役”兼“人格代表者”となり、相手側の暴露記事を書く役を務めていた。
父親のブッシュは、その選挙戦に勝利した。民主党が、急進的な脱工業化主義者マイケル・デキュカキスを候補にしていたからである。
息子のブッシュは、後に知事選に2度勝利した。これは、テキサス州の民主党で、ゴア式のリーダーシップを取った成果である。
●広大な人脈を利用して……
1991年、知事ブッシュは、インサイダー取引によって、バーレーンで油田のボーリングを行っているハーケン・エネジー社の株式を売り、巨額の金を獲得した。それは、ブッシュの父が、湾岸戦争に向けて、密かに準備を行っている最中のことだった。
ブッシュは、ブッシュ・ファミリーがリーダーシップを取っている、証券取引所委員会で、起訴を免れることができた。さらにブッシュは、彼のパートナーで、カジノのオーナーであるリチャード・レインウォーターと、野球チーム“テキサス・レンジャーズ”に資金を提供し、棚ぼた式にもっと巨額の金を獲得した。
ブッシュの富と権力は、すべて父親の国際的な金権政治と、スパイ・ネットワークによって得たものである。この事実から判断すると、ブッシュ知事が“自力で叩き上げる男”の哲学を表明しているのは、前代未聞の厚かましい行為というものである。
『テキサス・マンスリー』は、ブッシュの言葉を次のように引用している。
「どんな人も、自由意思を与えられており、どんな人でも、成功するチャンスを持っている。もし経済的に失敗した人がいたとしても、他の人は、違うように判断されるべきだということを意味しない。」
ブッシュ元大統領には、4人の息子がいる。
父親と、オリバー・ノースが“コントラ”の冒険を行った時、ジョージ・W・ブッシュ、フロリダ州知事ジェブ・ブッシュ、元コロラド州の貯蓄貸付陰謀人ニール・M・ブッシュの3人の息子は、一生懸命そのマネーロンダリングを行った。3人とも、今のところは起訴を免れているが、時限爆弾は音と立てている。大統領選挙が始まったら、時限爆弾は爆発するだろう。
1980年代、ブッシュ・ファミリーのテキサス州は、貯蓄・貸付の略奪の中心地だった。その略奪は、秘密の戦争と、武器・麻薬取引のために行われていた。
コントラ事件で、ジェブ・ブッシュと一緒にマネーロンダリングを行ったミグエル・レカリーは、連邦政府から1億ドルを盗んで、いまだに逃走中である。米国広報・文化交流局のウェブサイトには、レカリーの指名手配広告が掲載されている。
ブッシュ知事が、南アメリカに投資するのに協力したと噂されている金融家マーク・リッチも、同じく逃走中で、そのウェブサイトに載っている。
以上のように、スキャンダルはいろいろとあるが、ジョージ・W・ブッシュをホワイトハウスに送るかどうかを考える際に、ブッシュ一家が権力カルテルを形成しているという事実は、どのスキャンダルよりも深刻な検討材料である。
歴代アメリカ大統領の中で、その一族が国際銀行家であるというのは、ジョージ・ハーバート・ウォーカー・ブッシュだけである。
ブッシュ一族の広大な人脈は、エイバリル・ハリマン(祖父プレスコット・ブッシュと、曾祖父ジョージ・ハーバート・ウォーカー・ブッシュの協力者)が、ロンドンに本社があるブラウン・ブラザーズと、自らの銀行を合併させた時から形成されてきた。ブラウン・ブラザーズは、元共同経営者のモンタギュー・ノーマンが支配していたが、その次にはイングランド銀行総裁の支配下に入った。
合併によってできたブラウン・ブラザーズ・ハリマン社は、ヨーロッパのファシスト一味の中枢だった。その派閥は、バッキンガム宮殿とロイヤル・ダッチ・シェルにはびこっており、ウォールストリートの盟友、J・P・モルガン、クーン・ロエブ、スタンダード・オイルにも浸透している。
また、ハリマン一族とブッシュ一族のスカル・アンド・ボーンズ・ソサエティなどのダークエイジ・カルトもその中に含まれている。
大西洋を越えたこの連合体は、アドルフ・ヒトラーが1932年から33年にドイツを乗っ取る際に、スポンサーとなって資金援助を行っている。同じように、第二次世界大戦後には、イギリスがアメリカの軍事・情報機構を組織し直しているのである。
ヘンリー・A・キッシンジャーの子分であるジョージ・H・W・ブッシュは、1976年にCIA長官に就任した。後にレーガン政権の副大統領になったブッシュは、アフガニスタンとコントラの秘密作戦を主導し、イギリスとアメリカの専制政治の敵を狙わせた。
1987年から88年にかけては、ブッシュは大統領選で必死になっていた。息子であるジョージ・W・ブッシュが、禁酒の誓いを立て、父親のグローバル・マシーンに操作手として加わったのはこの時である。
空挺保である息子のブッシュは、現在、ワシントンの王座を目指して走り始めている。彼の頭上には、崇めたてるマスコミによって、すでに冠が与えられている。
ここで生じてくる疑問は、「民主党は、負けるとわかっているアルバート・ゴアを大統領候補に指名して、ホワイトハウスを無気力に明け渡すのだろうか?」ということである。
世界が金融と戦争の危機に直面している時にあって、名門ブッシュ一族と、ブッシュ一族を必死に援助しているイギリスのスポンサーたちは、ホワイトハウスを利用するに当たって、決して“思いやり”などは持たないだろう。
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