●シリアとの交渉再開へ
エフド・バラクが、イスラエルの次期首相選挙において、地滑り的勝利を収めたことにより、和平が実現する見込みは大きくなった。しかし、政情不安定の余地は、依然として大きく残されている。
第一に、ベンヤミン・ネタニヤフは、まだ首相であり、“足なえのアヒル”というよりは、相変わらずの“タカ派”である。バラクは、7月1日までに、連立政権を作らなければならないことになっている。
第二に、当選したバラクが、公式声明をあまり出していないために、中東全体の指導者たちは、いらいらしながら待っており、特にパレスチナ人は、相当な欲求不満を感じている。
バラクが沈黙しているのは、クネセト120議席に議員を出している15の政党の中で、つぎはぎしながら苦心して連立を作っている最中だからである。この仕事は、バラクが代表を務める統一会派「一つのイスラエル」(主に労働党からなる)が、26議席しか獲得できなかったことにより、一層困難となっている。
もう一つの理由だと思われることは、バラクには、シリアとの和平協定を結ぶ交渉を再開しようという意図があるということである。その協定には、イスラエルがシリアのゴラン高原の大部分から撤退することも含まれるだろう。
この仕事を遂行するために、バラクは、政府の危機を招くかもしれない現行の取り決めではなくて、シリアとの交渉を開始するという、以前の取り決めに基づいて、組閣をしたいと思っているのではないだろうか。
バラクは、バラクの政府に加わる際の政治ガイドラインを定めたが、今のところ、どの党も正式には合意していない。
左派の和平推進派のメレツと、元国防相イツハク・モルデハイが率いる中道党が、新しい政府の中核を形成するのではないかという予測がなされている。しかし、バラクは右派リクードと、構成員のほとんどがスファラディ・ユダヤ人のシャス、そして超右派の国家宗教党も含めた幅広い連立を作りたいと思っている。
ある情報筋は、次のように語った。
「もしバラクが、クネセトの80か90議席を支配する政府作りに成功したら、バラクは、国民投票を行わずに、シリアとの協定を結ぶことができるだろう。」
そのような大多数が形成されれば、国内の政治論争を長引かせたり、分裂したりすることも避けられるし、新政府に揺さぶりをかけようとする勢力の機先を制することが可能となるのである。
バラクは選挙の時に、南レバノンの“安全保障地帯”から、イスラエル軍を1年以内に撤退させることを誓約した。もし撤退するとしたら(ありそうもないことだが、一方的に撤退するのでない限りは)、まず最初にシリアと協定を結ぶ必要がある。
シリアは、レバノンに軍隊を3万5000駐屯させており、レバノンの多数の政治的党派の調停者の役割を担っているからである。
1979年にエジプトと締結したシナイ協定に沿って、シリアとどう取引するかというコンセンサスがイスラエル国内ででき上がっているが、そのコンセンサスは、一般に認められているよりもずっと幅広いものである。
ある一流の政治担当時事解説者は、次のように言った。
「いいか、シリアとどういう和平協定を結ぶかということは、20年間も詳しく論じられてきたんだぞ。これは、もう実行に移すかどうかというだけの問題だ。」
5月の終わりの3週間の間に起こったことは、本格的な交渉がそう遠くないうちに始まる可能性を示している。
バラクの顧問は、1996年2月に、シリアとの交渉が途絶えた所から再開するということを明らかにした。それは、シリアが今まで要求してきた中心の条項についてである。
バラクは、シモン・ペレスが首相だった時の参謀総長で、その交渉にも加わっている。このことは重要である。
バラクの他にも、1996年にワシントンで行われた交渉に出ていた人物として、当時アメリカ大使だったイタマル・ラビノビッチがいる。ラビノビッチは、バラクに任命されて、バラクのクリントン大統領への個人的な使節となっている。
イスラエルの日刊新聞『ハーレツ』によれば、ネタニヤフ政権の時に、少なくとも三つ以上の案に沿って、シリアと秘密の話し合いが行われていたという話である。ネタニヤフは、そのどれも利益がないと言ったとのことである。
第一の案は、ダニ・ヤトム少将が主導していたもので、クリントン政権の全面的な援助を受けながら行うというものである。
ヤトムは、駐アメリカ・シリア大使ワリド・ムアレムと数回に渡って会っている。その会談の結果、イスラエル側は、当時の国防相イツハク・モルデハイ、参謀総長リプカン・シャハクの意見を含めた原案を出したのである。
しかし、この案は、ネタニヤフがパレスチナのハマスの指導者ハレド・メシャルを暗殺する指示をモサドに出したことにより頓挫した。暗殺はヨルダンのアンマンで実行に移されたが、惨めにも失敗に終わった。
モルデハイとシャハクは、バラク政権で大臣の職に就くと思われる。ヤトムは、メシャルを殺せというネタニヤフの命令に異議を唱えたため、モサド長官を辞任したが、バラクの内閣に入閣している。
ネタニヤフは、他の機関の支援をかなり受けながら、シリアと取引をし、交渉を決裂させる次の機会を待つことに決めていた。
ネタニヤフは、まず最初にいくつかの方針で交渉を進めたが、それはすべてクリントン政権の介入を拒否したものだった。例えば、オマーンの外相に仲裁を頼む案、欧州連合の中東大使ミゲル・モラティノスを使う案などである。
三番目の案は、元駐オーストリア・アメリカ大使ロナルド・ローダーを使うというものだった。ローダーは、エステーローダー化粧品帝国の相続人で、ネタニヤフとアリエル・シャロンの資金提供者の一人である。
しかし、1996年の選挙の時に、交渉は突然打ち切られた。
それらの交渉は、絶対に失敗する運命だったのである。というのは、ワシントンのクリントンの関係者が全面的に関わらない限り、どんな協定であろうと、悪い冗談にもならないということを、シリアはよく知っていたからである。
●和平が突然実現する可能性
イスラエルとシリアの関係の指標となっている南レバノン情勢は、交渉にはずみがつくであろうことを示している。
南レバノンに数キロ食い込んでいる帯状の安全保障地帯には、イスラエル軍が駐留しているが、その地帯は、事実上ゴラン高原を拡張したようなものである。この地帯では、レバノンのヒズボラのゲリラと、イスラエル防衛軍とその代理人である南レバノン軍(SLA)との間で、低度紛争が続いている。
イスラエル、レバノン、フランスの代表で構成される、いわゆる“怒りのブドウ委員会”が、それらの戦闘と小競り合いが国際的危機に発展しないように努力しているのである。
5月の終わりに、SLAは、支配地域であるジェジンから撤退した。この地域は、イスラエルの安全保障地帯のすぐ外側にあり、SLAが10年以上占領していた場所である。
この動きは、イスラエル軍が実際に撤退を行う前兆として受け止められた。
また、SLAは、イスラエルの資金援助と軍備の援助を受けて、安全保障地帯のパトロールに協力しているわけだが、現実にあり得る話として、SLAが崩壊に向かっている兆候だとも考えられた。また、SLAの司令官であるアントワヌ・ラハド将軍が辞任して、フランスに行くという噂も立っている。
以上のような状況にもかかわらず、ヒズボラと、SLA、イスラエル防衛軍との戦いは依然として続いている。
ある識者は、「戦いをエスカレートさせているのは、ヒズボラと、そのバックについているシリア人だ」と言っている。それは、イスラエルに対して、「レバノンでの取引は、シリアとの協定を結んでからにしろ」という意思表示だというのである。
『ハーレツ』は、6月3日の社説において、「イスラエルは、レバノンの泥沼状態を解決しようとする際に、シリアを無視するべきではない」という警告を行った。その社説は、次のように述べている。
「イスラエルは、シリアと包括的な協定を速やかに結ぶべきである。それは、レバノンとイスラエルの国境線の安全を確保するだけではなく、シリアのゴラン高原についても同様に考慮すべきである。」
●今もなお圧迫をかけるビビ・ネタニヤフ
我々が述べたように、ネタニヤフは、政治生命が半ば失われた状態で、残りの任期を過ごしているが、しかし彼は依然として好戦的な挑発を続けている。
その中で最も重要なのは、数平方キロメートルの区域を併合して、西岸にあるマアレ・アドミムのユダヤ人入植地とイスラエルをつなげようとしていることである。この併合は、テルアビブの大きさの地域を、2万人のマアレ・アドミムとくっつけて、西岸を両断するというものである。
パレスチナ側は“怒りの日”を呼びかけており、デモや行進などの抗議活動を計画している。
パレスチナとイスラエルの間で暴力沙汰が炸裂している状況は、シリアとの交渉における最大の弱点を突いている。
要するに、パレスチナ側との最終地位交渉の前に、シリアとの解決を図れば、パレスチナ人は、イスラエルがパレスチナとの最終地位交渉に向けて、パレスチナ側を弱体化させようとしていると思うだろう。イスラエルとパレスチナの間に暴力沙汰が拡大していることによって、シリアとの本格的な交渉を再開することができなくなっているのである。
しかし、何と言っても、イスラエルとシリアの間で具体的な進展が行われるかどうかということは、バラク政権の発足と、バラクとクリントンの会談を待たねばならない。バラクは、クリントンとの会談については、できるだけ早いうちに実現させたいと述べている。
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