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▼グラハム大将

http://www.rapidnet.com/~jbeard/bdm/exposes/graham/general.htm

ビリー・グラハム 全般的な教義/活動

 ビリー・グラハムは75歳で、パーキンソン病にかかっている。それは進行性の神経病で、自動車の運転も、手で書くこともすでにできなくなっている。彼は年間1億ドルの福音伝道帝国「ビリー・グラハム福音伝道協会(BGEA)」を率いている。BGEAは、1991年には1億200万ドルの収益があった(グラハムは現在、年に10万1250ドルと、3万3750ドルの住宅手当をもらっている)。また、BGEAは、ノースカロライナ州のアシュヴィルにある1500エーカーのトレーニングセンター“入り江”を経営している。入り江は1987年に始められ、宿泊所と9歳から15歳の子供向けの入り江キャンプがある。1992年には、そこで約4000人の成人が、グラハム式の福音伝道の訓練を受けた。1993年には6000人の訓練者が期待されている。

 グラハムは、伝えられるところによれば1億人以上に説教し、そのうちの、正確には287万4082人が、“イエス・キリストを自らの救済者として受け入れる”ところまで行ったと主張している(93/11/15 Time誌)。ジョージ・ブッシュはグラハムを“アメリカの牧師”と呼び、ハーリー・トルーマンは彼を“偽物”、売名家と呼んだ。パット・ブーンは彼を“イエス以来の最も偉大な男”だと見なしている。ボブ・ジョーンズ3世は、グラハムは“他のどの今生きている人よりもキリストの意図を傷つけた”と言う。誰が正しいのだろうか? 以下を読んで、あなた自身で判断してください。

 ノーマン・ビンセント・ピールは、“クリスチャン”心理学を偽教会に持ち込んだのみならず、視覚化、多神教、人間の可能性、積極的告白、積極的思考、等のニューエイジとオカルト教を唱道したという責任がある。かつて、33階級のメーソンであるピールは、フィル・ドナフュー・ショーについてこう語った。
「再び生まれる必要はない。あなたは神への道を持っている。私も持っている。私は神道の神社に永遠の平和を見出した。」(神道は古代東洋宗教で、先祖崇拝と神秘主義が融合している。)  彼は処女懐胎を信じる必要性もないと言った。

 ピールの間違った教えは、グラハムにとっては、見たところほとんど関係はない。「今日のためのバイブル」に、グラハムが1966年12月6日に全米教会会議のスピーチで言った内容が引用されている。
「私は、ノーマン・ピールとルース・ピール以上に、神の王国に貢献した人を知らないし、私の人生に励みとなっているものを与えてくれた人はいない。」(Hayes Minnick BFTレポート#565 p.28)(多分ビリーは、ピール以上に、キリストの意図に対して邪悪なことをなした人はいないと考えられる、と言いたかったのではないか。)
 グラハムは、彼が行ったニューヨークシティー大集会のうちの一つで、ピールに祝福を与えることを許したことがあるくらいで、さらに、400名の新しい“改宗者”の名前を、ピールのマーブル協同教会に贈った。

 ノーマン・ビンセント・ピールの最も“成功した”protgsèèは、ロバート・シューラーである。シューラーは、「人は、自らの個人的な罪を認める必要は“全く”なく、悔い改める必要も“全く”なく、自らをはりつけにする必要も“全く”ない」と説く。シューラーは、イエス・キリストの福音の完全なる否定以外の何物でもない、自己を称揚するちょうど反対の哲学を説いている。
(「自己尊敬――新しい改革」参照。その中で、シューラーは「イエスは彼の価値を知っていた。彼の成功は、彼の自己尊敬を高めた。彼は、彼の自己尊敬を神聖にするために十字架で苦しみ、あなたの自己尊敬を神聖にするために十字架に耐えた。十字架は、自我の旅を神聖にするだろう(マタイ16:24参照)」と言う。)

 グラハムは、この背教者を同様に、「ロバート・シューラーは、私が彼の靴のひもをかがんで解く価値もない、神の偉大な人間である(ヨハネ1:27にある、イエスについて洗礼者ヨハネが言った言葉!)」と言って是認している。グラハムは、1969年、シューラーに、シューラーが“パワーの時間”というテレビショーを始めるようにアドバイスした。グラハムは、シューラーの1000回目の記念番組(89/4/2放送)に自ら出演し、20年前、いかにグラハムがシューラーを励ましたか述べた。そのとき、グラハムは、「ボブ、君の礼拝をテレビ放送することを考えたらどうだ?」と言った。

 グラハム・クルースエイド(※クルースエイド:文字通りには「十字軍」。キリスト教信仰復興運動)との協力は、自動的に信仰の原則を否定してきた人たちとの親交を必要とする。例えば、グラハムは有力な“不信心者”を彼の改革運動の教壇に有しているだけでなく、ローマカトリックの新しい“改宗者”と共に、正式の関係にあるカトリックの法廷弁護士の法律顧問を、少なくとも1972年から有しており、この新しい改宗者を、彼ら自身のカトリック教会に、後続のために差し向けている。実際、グラハムは、広範囲な宗派の支持(例えば全キリスト教会的支援)が得られることを確信しなければ、一つの市の中でさえ、改革運動を維持しようとはしないだろう。そうなると、この問題はビリー・グラハムのキリスト教の信憑性以上のもので、それよりも、グラハムとグラハムの組織と関係するものは何でも、“他の福音――ある場合はローマカトリックの福音で、ある場合は現代的な福音で、そしてなおある場合は福音でも何でもない――を信じる人たちとの、宗教的な目的のための連帯”であるという事実である。(R.J.シーハン,「C.H.Spurgeonと現代の教会」pp.97-98)

 長年にわたって、カトリックの指導者たちは、ビリー・グラハム・クルースエイドに恐れるものは何もないことを学んだ。カトリックの指導者たちは、グラハムの改革運動を、信仰を実践していないカトリック教徒を回復させ、改宗者をローマカトリックに獲得するためにさえ利用している。“キリストを受け入れよ”、“信仰の歩みを進めよ”“今夜キリストのところに行きなさい”というグラハムの呼びかけは、一般的すぎて、カトリックの指導者たちは、自分たちのサクラメント(※神の恩寵(おんちょう)の印として神聖と考えられる宗教的儀式;カトリックでは「秘跡」といい,洗礼(baptism) 堅信(confirmation) 聖体(the Eucharist) 告解(penance) 終油(extreme unction) 叙階(holy orders) 婚姻(matrimony)の七つをさす)の福音をその中に挿入することができる。そして、グラハムがカトリック教会と活動していて、ローマカトリックに関してどんな警告も決して発さないという事実は、人々に、グラハムはローマカトリックの神学を受け入れているのだという考えを持たせる。カトリックの聖職者たちは、質問する人に対しては、単に、「人は洗礼の時に再び生まれ、ミサ、家庭でのつとめ、ロザリオなどのあらゆる種類の宗教的活動を通して、福音伝道大集会に参加することでさえも、キリストにおいて何度も新しくされる」と教えている。(ウィルソン・ユーイン「福音伝道者ビリー・グラハムの、ローマカトリック教会への同化」pp.38-39)

「何かの説明不可能な理由で、あるいは神秘的でさえある理由のために、ビリー・グラハムは、ローマカトリックの神学的・道徳的・精神的な魂を認識することができない。同様に、彼は、全バチカンシステムの歴史的な性格を把握しそこない、もっと悪いことに、それを無視することに決めてしまった。その代わりに、ローマ法王庁に魅かれ、感銘を受けて、ついに尊敬して従うことに決めた。結果は、神の言葉の真実と、ローマカトリックの完全な暗黒との間の違いを理解するという、彼の側の悲惨な失敗となった。」(ユーイン,p.22)

 92年9月にオレゴンエリアのポートランドで行なわれた「ビリー・グラハム・クルースエイド」は、グラハムのローマとの妥協の良い例である。オレゴンの「カトリック・センチネル(カトリックの番人)」(1992.4.24)に、“ビリー・グラハム・クルースエイドに新参加のカウンセラー”と題された記事があった。「センチネル」は、1万人のカウンセラーが、必要なクラスに出席することが予想されており、ローマカトリック教会はそのうちの6000人を提供するのを目標に定めたと報じていた。さらにその記事には、(“意思決定者”について)「カトリックの洗礼を受け、カトリックの方を好むと表明している人たちが、クルースエイドの一部である地方教区に向かう予定である」と述べられている。

 カトリック教会との親交は、クルースエイドにおける単なる世俗性ではない。92年9月13日、「オレゴニアン」には、「7000人以上の若いキリスト教徒が、土曜日の夜にポートランドのメモリアム・コロシアムで行われたグラハム・クルースエイドのパワー・サージ・ユース・ラリー(力のうねり若者大集会)に参加した。アンプの音を大きくし、ライトを弱めて、若いTシャツとジーンズの群衆が、賛美歌で梁を振動させ、鼓動するロックビートに乗って盛り上がった。

 このクルースエイドが終わった後、92年9月25日の「カトリック・センチネル」は、グラハムに好意的に書いていた。
 グラハムの人々へのメッセージは、神と、自分たちの教会に戻ることである。グラハムは、「ローマカトリック教会が、私たちがどこへ行こうと、今、私たちに協力してくださっていることを大変うれしく思います」と言って、カトリック教会に特別な称賛を捧げた。

 グラハムは、道徳的な問題については、真のキリスト教徒の立場をとることは難しいと思っている。前述のポートランドでの92年9月のクルースエイドで、グラハムは、同性愛は罪であると宣言したが、そういう機会はそれが唯一のものだった。彼は、来るオレゴン州全体のレファレンダム(92年11月)についての彼の立場について質問された(そのレファレンダムは、同性愛は異常であると宣言し、通れば、政府が同性愛を支持することを禁じるものである)。グラハムは、聖書からの明快な答えを出すというよりも、政治家を演じた。
「その問題のどちらの側も、激しい議論をしていて感情的だと思います。私はここにいる間は、国家・地域政治には入らないつもりである。神はその人の民族的政治的背景や社会的志向が何であろうとも、人々を愛してくださっている。キリスト教徒は、多くの問題について相反する見解を持っています。問題の双方の側の人々は、互いに愛し合わなければなりません。私は他のグループに反対することは決して語りません。(92/9/22「ステーツマン・ジャーナル」)」

 1年前、ABCの“グッドモーニング,アメリカ(GMA)”(91/9/5)で、妊娠中絶についてのキリスト教徒の立場を聞かれた時、グラハムは、次のように言った。
「キリスト教徒の立場というものはあります。しかし、それが何であるか私は言う準備をしていません。」
 そして再び二週間後(91/9/19)、GMAでグラハムは、「しかし、妊娠中絶が唯一の選択肢である場合もあります。」と発言した(しかし彼は、「罪のないまだ生まれていない人間の生命を殺すことがOKの場合」とは言わなかった)。(93/2/22の「クリスチャン・ニュース」で報道)

 1948年、ビリー・グラハムは、「今年の8月、世界教会協議会(WCC)のメンバーがコペンハーゲンを訪れるとき、世界教会協議会が何をすることを期待しますか?」と聞かれた。彼は次のように答えた。
「私は、彼らが反キリストを指名することを信じています!」
 しかし早くも1966年、グラハムは、1961年のニューデリーでのWCC集会に出席したことを自慢し、1968年のスウェーデンのウプサラでの第4回集会に出席することを望んだ(実際出席した)。彼はすべて出席したが、それ以来WCC集会は2回だけであった!

 背教者のエキュメニカル・ムーブメント(世界教会運動)の指導者たちとのグラハムの協力、彼らの“キリスト教の統一”の探求の基礎となっている、「聖書にない立場」をさらすことについてのグラハムの拒否、背教者の宗教指導者たちと協力したいというグラハムの意向は、報道された、世界教会協議会の書記長コンラッド・ライザーとの心からの談話の中でもう一度示された。
 EPSの報道によれば、「ライザーは、彼とグラハムは親しみのある非公式の幅広い範囲の会話をした、と報告した。グラハムは初期のWCC総会に出席したことを思い出し、彼の現在の活動についてたくさん話した、とライザーは語った。グラハムのアシスタントは後に、グラハムと他の福音伝道者たちのきずなを発展させるWCCの努力が続くことへの期待を表明した、とライザーは語り、グラハムが可能な時にはいつでも、ジュネーブのWCC本部を訪問するように招待した、と報告した」と言う。

 ビリー・グラハム福音伝道協会は、計画中の「巡回福音伝道者北アメリカ会議」が、ケンタッキー州ルイヴィルで、94/6/28から94/7/1に開かれる予定であることを発表した。それには40以上の宗派と組織が参加する予定で、グラハムは、“福音伝道者の新しい世代が地平線に昇る。”と予言した。もしこの会議が、前の会議のパターンにならうなら、WCC-NCCの宗派、カリスマ派の運動、ローマカトリック教会を非常に押し上げることになる。グラハムの聖職者としての地位が衰える年になって、グラハムは、神の言葉が間違った福音を説く人たちと共に働く結果となるような、神の言葉に背く福音伝道者の未来の世代を訓練することを非常に強調している。(1993年9.10月「ファウンデーション」誌)

 1952年とまた1958年に、ビリー・グラハムは間違った教義を説く人たちと離れることについてのまともな声明を発表した。例えば、1952年には彼はボブ・ジョーンズ・シニア博士に、「私たちの[クルースエイド]委員会に、処女懐胎、身代わりのあがない、肉体の復活を否定した人はかつていませんでした」と手紙を送った。1958年には、グラハムは「エターニティ」誌で、次のように述べた。
「もし人がずうずうしくもキリストの神性や、キリストが肉体を持って来られることを否定するなら、私たちは、幸運の祈願をすることさえないだろう。このように、聖書は、私たちの主イエス・キリストの神性を否定する人たちから離れるべきであることを教えている。私は彼を、反キリスト、十字架の敵として扱うつもりである。」
 しかし早くも1963年、グラハムは合同メソジストの司教ジェラルド・B・ケネディを、グラハムのロサンゼルス・クルースエイドのチェアマンとして迎えた。ケネディは、彼の本の中の一つに書いている。

「私は、新約聖書に書かれた証言は、全体的に、イエスの神性についての教義に反するものだと信じている。」

 多分、最もドラマチックなのは、間違った宗教に関してのグラハムの変化である。1948年、グラハムは言った。
「正教会が直面している重大な三つの脅威とは、共産主義、ローマカトリック、イスラム教である。」
 しかし1973年には、グラハムは態度を変えていた。彼は、「共産主義者毛沢東の“八つの訓戒は、基本的に十戒と同じである”」と言い、ローマカトリックのミサを“とても美しいものだ”と称賛し(後述の項目を見よ)、モハメッド・アリのイスラム教信仰は、“私たちすべてが信じることが可能なものだ”と言った。

 もっと前の1966年には、グラハムは次のように言った。

「私は、自分自身が、ラディカルなプロテスタントよりも、カトリックに近いことがわかった。私は、今日のローマカトリックは、二度目の宗教改革を経験していると思う。」(66/5/24「フィラデルフィア・イブニング・バラティン(会報)」)

 グラハムによれば、この“宗教改革”は1978年までには終わっていたはずで、そのとき彼はこう言った。
「私の信仰は、本質的に正教会の信仰と同じだとわかった。」(78/1「マッコールズ・マガジン」)

 グラハムの福音とローマカトリックの福音は、実際全く違わない。1978年、「マッコールズ・マガジン」は、グラハム博士の“更新された”救済の仕方についての理解を報道した。
「私は、遠く離れた国の異教徒は、もしイエス・キリストが説かれた福音を知らなければ、地獄へ行くと思っていた。もうそれは信じない。私は、自然を通して神の存在を知る他の方法があると信じる。」

 もちろんこれは、間違った福音であり(ヨハネ14:6参照)、福音を説く者をとがめるものである。(ヨハネ14:6;ガラテヤ1:8.9参照)
 グラハムが、実際に地獄について何を信じているのかを知るのは難しい。ひとつ確かなことは、グラハムにとってそれは、文字通りではないということである。
「私に唯一確実に言えることがあるとすれば、地獄とは神からの分離である。私たちは神の光、神との交わりから離れている。それは地獄に行くことである。文字通りの火については、私はそれについて説教することはしない。なぜなら、それについてはよくわからないからだ。」(93/11/15「TIME」誌)]

 1948年にはグラハムは、ローマカトリック教徒たちを“正教会が直面している三つの重大な脅威”と呼んだが、今日では、グラハムはローマカトリック教徒たちと手に手を取って、全面的な協力者となって活動している。彼は数多くのカトリックの賞をもらい、法王ヨハネ・パウロ2世の大変な崇拝者・後援者の一人で、それは、法王に“平和賞のプリンス”の賞を与えようという、1989年のカリスマ派の計画を完全に支援していたことが、その証拠である(法王は却下した)。また、法王を“現代世界の最も偉大な宗教的指導者”“政治家であり、牧師であり、福音伝道者”と呼んだことが、その証拠である。
 ここに、グラハムの法王への申し入れの簡略な歴史がある。

 ヨハネ13世の死に際して、グラハムはドイツのボンからこう言った。
「私は法王ヨハネを猛烈に尊敬していました。私は、彼がこの世界に新しい時代をもたらしたと感じました。私は、枢機卿方が、ヨハネと同じ路線を歩む新法王を選出することを望みます。もし枢機卿方が、ヨハネに反対する反応をする人を選ぶなら、それは大変な悲劇となるでしょう。」(63/2/2「ミシガンシティニュース・特報」;「シカゴトリビューン」)

 グラハムは、北米全土で行われたエキュメニカル・キー'73会議で、ローマカトリック文学を推薦した。彼は特に法王ヨハネの伝記を推薦したが、その中には、マリアと聖人への帰依、ミサの時のパン(聖餅(せいへい))への崇拝、救済の手段としてのサクラメントへの法王ヨハネの信頼の書かれた数百ページが含まれていた。グラハムはこの本を、“帰依の古典”と宣伝した。(86/2「ザ・ゴスペル・スタンダード」;「キー'73:会衆派リソースブッック」)

【1979年】
 ビリーグラハムは、10/11のフィル・ドナヒュー・ショーに出演し、合衆国への法王ヨハネ・パウロ2世の訪問についてディスカッションした時に、こう言った。
「私は、アメリカの国民は指導者を、何かを信じている道徳的精神的指導者を求めていると思います。そして法王はそうです。私は神に感謝します。今私が、実際の権威をもって言及できる人を得ていることを。」
 グラハムは別の場所でこう言った。
「法王ヨハネ・パウロ2世の合衆国への訪問は、ローマカトリックにとってだけでなく、アメリカ人すべてと世界にとって重大な意義を持つ出来事である。ヨハネ・パウロ2世が法王だった短い間に、“彼は世界の道徳的指導者になった”。私の祈りと、数え切れない他のプロテスタント教徒たちの祈りは、法王が旅をする時は彼と共にあるだろう。」(79/9/27宗教ニューサービス・特報;「新中立主義U」の中で引用)(強調は追加)

【1980年】
「法王ヨハネ・パウロ2世が選出されてから、彼は現代世界で最も偉大な宗教的指導者として登場し、今世紀の最も偉大な道徳的・精神的指導者の一人として登場した。法王はアメリカに、政治家であって牧師として来られた。しかし私は、彼は自分自身を、福音伝道者として来たと理解されていると信じる。法王は、私たちの世代の精神的飢餓に対して、この国中のキリスト教徒が、キリストに心が向いているあらゆる世代の人々の精神的渇望に対して語りかけているのと同じ方法で、語りかけようとされていた。(「サタデー・イブニングポスト」1980年1-2月)
[この記事の中で、グラハムは、次のように言ったとして引用されている。
「最近、私は“教皇”という言葉が、元来は“橋を架ける人”を意味するラテン語から来ていることを知った。法王ヨハネ・パウロ2世は、実際に橋を架ける人であり、分断された私たちの世界が絶対的に必要とするものである。」
 歴史的には、“教皇(pontiff)”は橋を架ける人を意味してはいないが、“神官長(Pontifex Maximus)”という法王の称号(これは、ローマ帝国の古代異教宗教の高位聖職者から初期の法王に伝来するもの)と関係している。イタリア語とラテン語の“教皇”は、“橋”を意味し、明確に、法王自身が人間と神との橋であるという、法王の不敬な主張を指す。]

【1981年】
 グラハムは1月13日法王ヨハネ・パウロ2世に会い、次のように語ったと「宗教ニュースサービス」で報道された。
「約2時間の集中的な会話は、“非常にプライベートで、親密なものだった。法王は極めて温かく、私たちの活動に興味を持たれていた。」(81/7/17「今日のキリスト教」)
 法王がバンクーバーに滞在した後、1ヶ月たたないうちに、グラハムがバンクーバーに行くに当たって、グラハムは法王のメッセージについてコメントした。
「私はあなた方に、私が今まで聞いた中のどれにも劣らない率直な福音伝道の言葉を伝えます。それはすさまじいものです。もちろん、私は法王の大変な崇拝者です。法王は、方向を見失ったかのように見える世界に、道徳的なガイダンスを与えてくださっています。」

【1989年】
 グラハムは法王ヨハネ・パウロ2世との会見について、次のように語った。
「会話中に少しの沈黙があった。突然、法王の腕が伸びて、私のコートの襟をつかみ、法王の顔の数インチ以内に私を引っぱり寄せた。法王は目を私に据えておっしゃった。
“聞きなさい、グラハム、私たちは兄弟だ。”」(89/6/8「Today」)
 グラハムは、人生の中で大きな出来事だったと言った。


【1990年】
 法王との会見の後、グラハムは言った。
「法王の態度と決断は、“法王の偉大な個人的精神生活に基づいている。法王は、ご自分の仕事とメッセージとビジョンを、聖書の原則に基づかせていらっしゃる。”」(ユーイン「福音伝道者ビリー・グラハムのローマカトリック教会への同化」1992)

【1993年】
 7月12日、ABCテレビの“グッドモーニング、アメリカ”で、ジョアン・ルンデンのインタビューで、グラハムは言った。
「私は、法王がデンバーに来られてうれしく思います。私は、たとえすべてにおいて彼に賛成できないとしても、法王を崇拝します。」
[この話題の中の法王は、この年に、法王は無謬の“キリストの代理者”であると主張している。無謬の“キリストの代理者”であって、唯一の本当の福音だと主張する人が、どうやったら何千もの若者を欺く間違った福音を携えて偽キリストが来ることを“うれしく思”えるのだろうか?]

 72年4月21日、グラハムは、“真のエキュメニズムへの貢献”とグラハムの“誠実で信頼性のあるエキュメニズム”により、カトリック国際フランチェスコ会賞を受賞した。(72/4/22「ミネアポリス・スター」)賞を受けるに当たって、グラハムは言った。
「私は聖フランチェスコの靴のひもに触れる価値もないのに、13世紀にフランチェスコをお呼びになったこの同じキリストが、同様に20世紀に、キリストのしもべの一人として私を呼ばれた。」(86/2「ザ・ゴスペル・スタンダード」)

 グラハムは、「レーガン大統領の、バチカン行きの大使を任命するという決定と、バチカンとのきずな」のための道を敷くのに助けとなった。(「カリスマ」1984.5 pp.101-102)
 大統領はグラハムに、国家安全保障顧問ウィリアム・P・クラークが、法王庁との正式な外交関係を確立するための返事を集めるのを助けるように頼んだ。グラハムがコンタクトをとったキリスト教の“指導者たち”は、ジェリー・ファルウェル、パット・ロバートソン、ギリー・マービン(NAEの事務局長)、デイビッド・ハバード(当時フラー神学校の校長)、ギルバート・ビーアズ(当時「今日のキリスト教」編集者)であった。クラーク氏に送られた、グラハム博士への手紙は手に入れられ、グラハムが次のように言ったと引用してある。
「もしそれをすることができて、うまくやり遂げることができる人がいるとすれば、それはレーガン氏である。」

 79年12月9日、有名なカトリックの大司教フルトン・J・シーンが亡くなった。シーンは、ローマの教理を支持したカトリックの伝統主義者だった。彼は新約の信仰にとっては堅固な敵だった。しかし、グラハムはシーンの死をこう呼んだ。
「国家と、カトリック・プロテスタント教会双方にとっての巨大な損失。彼は、カトリックとプロテスタントの間にある偏見の壁を破壊した。私は彼の死を悼み、天国での私たちの再会を待ち望みます。」(79/12/22「EPニュースサービス」)

 しかし、シーンの願いは、キリストの完全なあがないではなくマリアにあった。もしシーンが死の床で悔い改めず、キリストに完全に向かわなかったとしたら、シーンが天国に行くと信じる理由はない。(デイビッド・クラウド「ローマとのたわむれVol.T:ビリー・グラハム」p.31)
[もちろん、エルビスが天国に行くなら、フルトン・シーンが行かないということがあろうか? 92/4/16発行の「USA Today」の記事で、グラハムは、「神と、偉人と、善を有しているエルビス・プレスリーと永遠の時間を過ごしたい」と語っている。]

 グラハムはこう言ったことがある。
「多くの人がやろうとしてきたように、“優雅さの育成”と“改宗の優雅さ”を対比してはいけないというのが私の意見である。私は、両方が存在することを確信するが、改宗の優雅さによって、優雅さの育成にたどりついた人は幸福であると確信している。」
 ローマカトリックに親しんでいる人は、“優雅さの育成”が、七つのサクラメントの優雅さに関係することを知っている。このように、グラハムはその両方を身につけ、ローマのサクラメントの優雅さを受け入れたのであった!

 さて、グラハムも、洗礼による再生という、ローマの間違った福音に帰依していることを知って驚くには当たらない! 以下の引用は、グラハムが、当時「ルター派スタンダード」の提携編集者だった、ルター派の聖職者ウィルフレッド・ボックルマンのインタビューを受けた後で、1961年10月に書かれた記事からのものである。
「私は、幼児の洗礼のとき、特に両親がキリスト教徒で、子供に対して幼児の時からキリスト教の真理を教える場合、何かが起こるということを信じています。私たちは神の神秘を完全に理解することはできません。しかし私は、その子供たちが再生するような、すなわち幼児洗礼を通してキリスト教徒になるような奇跡が、その子供たちに起きうることを信じています。もしそれを洗礼による再生と呼びたければ、私は全く同意します。」(61/10/10「ルター派スタンダード」)

 ボックルマンは、「人々は、洗礼者として、グラハム博士は、幼児洗礼に反対するだろうと思いこんでいると思います」と言った。ボックルマンは、これが真実ではないことを発見したでけではなく、グラハムの妻ルースと、一番下の子を除いて子供たち全員が幼児の時に洗礼を受けていることを発見したのだった。(1991年夏に報道「Dorea」pp.9-10)

 ミサのカトリックのサクラメントが、キリストの終了したわざに対する最大の攻撃であるのは言うまでもないが(ヘブライ10:19-22参照)、グラハムは、ミサが美しいだけでなく、福音の中で明らかであると考えているのである!
「今週、私は大きなカトリック聖堂で、カトリック教徒だった私の親しい友人のために葬式の説教をしました。そこには何人かの司教と大司教が参加していました。私はそこに座って葬式のミサに参加していましたが、それはとても美しいもので、間違いなく福音そのもので、福音にあるものであることは明らかでした。感じのよい小柄な聖職者がいて、私に、いつ立ち、いつひざまずき、何をすればよいか教えてくれました。」(「おお、テモテ」Vol.10 第9版1993 pp.16-17)

 さあ、おわかりになったでしょう。ひざまずいて、ミサの聖餅を崇拝しているビリー・グラハム! ミサがキリストの贖罪についての聖書の教えを破壊しており、それによって福音そのものも破壊していることは、明らかにグラハムにとっては全然重要ではないのである。

 「ブックストア・ジャーナル」のインタビューで、グラハムは再び、エキュメニズムについての彼の立場を非常に明快に語っており、それをサポートするために、どれほど聖書をねじまげようとしているかをまさに示している。
「50年代の初めの頃ボストンで、別の重要な出来事が起きました。カトリック枢機卿クッシングが、彼の雑誌の表紙に“ブラボー、ビリー”と載せたのです。これは、国中のニュースになりました。彼と私は親しい友人になりました。それが、私が実際に、プロテスタントとカトリック全体の状況に真剣に取り組もうとした最初でした。私は、キリスト教徒は至る所にいるのだと認識し始めました。彼らはモダニスト(現代主義者)と呼ばれているかもしれないし、カトリック教徒と呼ばれているかもしれないし、その他であるかもしれない。しかし、彼らはキリスト教徒なのです。イエスは教えました。
“これによって、すべての人々は、あなた方が私の弟子であることを知るだろう。もしあなた方が互いに愛し合うならば。”
 そして、愛は他の何よりも重要であると教えました。私は、この認識からそれたことがあるとは思いません。」(1991年9月「ブックストア・ジャーナル」)

 1964年、グラハムの補佐ジョージ・エドストロームは書いている。
「グラハム氏は、カトリック教会で一度も説教したことはなく、一つの教会にさえ参加することを同意したことはありません。もしあなたがそういう話を聞いたなら、それはデマ以外の何物でもありません。」
 しかし早くも1963年、上述の声明の一年前に、グラハムはノースカロライナ州のカトリック大修道院カレッジで講演をしている。

 1967年、グラハムは、再びベルモント大修道院カレッジの世界教会運動対話研究所で講演をし、人文科学名誉博士号を授与された。そして次のように語った。
「10年前は不可能だったというのに、今このとき、プロテスタントとカトリックが一緒に会合し、兄弟としてお互いにあいさつしました。」
 この同じスピーチの中で、グラハムは述べている。
「この学校を作った福音と、今夜私をここに来させた福音は、今もなお救済の道です。」(67/11/22「ガストニア新聞」)
 これと、グラハムが1957年に、カトリックの福音に“神の鼻の穴の悪臭”という烙印を押した時の言葉を比べてください。(「名誉ある預言者」p.223)

 1968年、グラハムはテキサス州のサン・アントニオでの会合に出席した。グラハムは、今までローマ教会が、グラハムがクルースエイドを開催した地区で、“驚異的な協力”をしてくれていると言った。また、次のように付け加えた。
「今日、私たちへの援助の大部分はカトリックからのものである。私たちは、聴衆の中に目立ってたくさんいらっしゃる僧侶と修道女なしには、クルースエイドを開催することは“決して”できません。」

 1985年、パウロ者国家カトリック福音伝道協会と、ティンダル・ハウス出版社は、共同で、ビリー・グラハムによる一章を含む「成人への福音伝道について、キリスト教徒はお互いから何を学べるか」を出版した。その本は、プロテスタントとカトリックの、いわゆる福音伝道における、もっと大きな協力を呼びかけており、ヨセフ・カーディナル・ベルナルダン、ロバート・シュラー、ビル・ブライト、ジャック・ワイルツェン、他による記事も含んでいた。(「ローマとのたわむれVol.T:ビリー・グラハム」p.31)

 1991年9月22-29日、グラハムの提携者ラルフ・ベル博士の指導する「グラハム福音伝道協会セントルイス・クルースエイド」に、34のローマカトリック教会と300-400教区の希望者が参加した。クルースエイドは、セントルイスの大司教区が共同スポンサーとなった。(「ファンダメンタリスト・ダイジェスト」1992年3-4月号で報道)
 その大司教区事務所のビンセント・ハイアーは、次のようにコメントした。
「ビリー・グラハムはいつも非常にエキュメニカル(世界教会運動的)である。ビリー・グラハムは必ずしも人々を、何かの宗派に押し込んだりはしないが、彼は何の宗派であろうと、協力を欲する宗派に対しては励まそうとするのである。」

 提携新聞記者デイビッド・ブリッグズは、91/9/22のビリー・グラハム・ニューヨークシティ・クルースエイドについて、次のように書いている。
「グラハムのクルースエイドの最後の呼びかけに応えた人たちの多くが、‘キリストに帰依する人たちの大きなうねりがあるという印象を与えるように、先導役を前に出させる’というテクニックによって動かされている。」(ペンシルバニア州ハリスブルグ「愛国者ニュース」91/9/20 p.1宗教欄で報道)
 その大集会は、ローマカトリックの枢機卿ジョン・オコーナーに支持されたが、彼は次のように言った。
「ビリー・グラハムの団体は、相談に乗る人を提供することと、カトリックの信仰を実践したいという人たちを迎えるという点で、私たちの助けを要請した。」
 大集会で、グラハムはオコーナーと、地区大司教方の助けに対して感謝した。グラハムは、ニューヨークでユダヤ教のラビたちに感謝を表明した。
(グラハムはこう言った。「私を昼食に招待していただきまして、ユダヤ教のラビ方に感謝したいと思います。200人ほどのラビが集まって、私たちはパンを分かち合い、神のこととニューヨーク市のことについて話しました。」)
 メッセージの締めくくりに招待をするに当たって、グラハムは一人一人に、あなた方の“洗礼誓約や堅信礼(※堅信礼=通例幼児洗礼を受けた者が成人してその信仰を告白して教会員となる儀式)”を“新たにする”ことによって、“主のもとに戻って来なさい”と招待した。(「ファンダメンタリスト・ダイジェスト」1992.3-4で報道)
[グラハムは“再確認する”ために、この同じアピールを、ローマカトリックの心臓部のノートルダム大学で1977年に開催されたクルースエイドで行った。
「あなた方の多くは、あなた方の堅信礼を再確認するために、今夜来たいと思っています。あなた方は、あなた方が教会に入った時になした決心を再確認したいと思っています。」(学際的聖書研究研究所)pp.75-76]

 グラハムは、モスクワがまだソビエト連邦の一部だった1982年に、モスクワで初めて説教をした。グラハムは「92/10/23-92/10/25大集会」のために、ロシアに戻り、ロシア正教のスポークスマンPatriarch AlexiUに会い、旧ソビエト連邦において、人々を改宗させたことを“非難する”共同声明を発表した。(「ファンダメンタリスト・ダイジェスト」1993.7-8)
 グラハムとアレスキイは、モスクワの歴史的に有名なダニロフ修道院での私的な会合での声明を発表した。グラハムは言った。
「私は彼に、私たちが人々を改宗させるためにここに来たのでないことを保証し、また私が何度も正教会のゲストとしてここに来て、正教会に滞在したことと、私が正教会を非常に愛していて、“人々が、自分たちのルーツに戻ることを必要とし”ており、人々が聖書研究を非常に重要視していることを信じていることを保証した。」(「バプティスト・チャレンジ」92/12で報道)(強調は追加)

 道での説教、聖書の小冊子や他の福音文学の配布、外国の宣教師による聖書関連物の出版は、ロシアではやはり禁止されている。その制限は、グラハムが“非常に愛している”その同じロシア正教という宗派が押しつけたものである。グラハムは、小冊子の分配が“不適切な”活動であると述べている新しい法律に同意を表明したのである。

 「今日のキリスト教」は、93/6/2-6に開催されたグラハムの3回目のピッツバーグのクルースエイド(前回のクルースエイドは1952年と1968年)について報道した。
「この努力は、1050の教会と65の宗派が集まったという、世界教会運動的な協力によって特徴づけられる。参加者17万1500人、キリストに帰依をしたのはそのうちの1万2515人。寄付金が、145万ドルの予算を18万ドル上回った。大部分がローマカトリック教徒のピッツバーグでのクルースエイドは、クルースエイドの実行委員会に、6人のカトリック教徒が入っていた。初期の頃のクルースエイドは、ピッツバーグのカトリック司教管区の役員たちは、招待に入れていなかった。今回グラハムは、カトリックとプロテスタントの団体からの、8人の司教・監督と役員に会った。」(「今日のキリスト教」93/7/19)
 93年9月、グラハムはオハイオ州コロンバスでクルースエイドを開催した。クルースエイド前のテレビインタビューで、グラハムは語った。
「(オハイオ州のコロンバスの人々について)あなた方は非常に善なる人たちです。福音伝道はあなた方に必要ありません。実際、これほど長い間、私たちがコロンバスに来なかったのはそのためです。」
 TVニュースレポーターは、「グラハムは、あなた方が、どの信仰から来たかは問題にしていません。考えていることは、それが何であろうとも、あなた方をあなた方の信仰に連れ戻すことであり、あなた方をその信仰に連れ戻す触媒として、クルースエイドを使うことなのです」と言った。
 他のレポーターは、「カトリック教会は、積極的な役割を果たしており、教区民をクルースエイドに参加するように誘っています」と言った。(「コロンバス特報」93/9/19)

 グラハムは、4万4000人に対する9/26の最後の説教で、質問をした。
「エイズは神からの天罰だろうか? 確信を持って言うことはできないが、私はそう思っている。」
 2週間後、彼は、そうは言う気はないと言った。
「神が人々に、エイズによって天罰を与えたと言うことは大変間違っていて、大変冷酷である。」
 そして言った。
「私が言ったことに対して、非常に申し訳なかったと言いたい。」(「ブルーミントン・ヘラルド・タイムス」93/10/10)
 グラハムは、また、「クレーブランド・プレイン・ディーラー」に、「私はそれは信じていません。また、なぜ私がそう言ったのかわかりません」と語ったのである。

 92年3月の北朝鮮への5日間の訪問で、グラハムは一つのプロテスタントの教会と、一つのカトリックの教会で説教した(北朝鮮に入るのを許されたのは、たった二つの教会だけ!)。
 彼は法王からのメッセージを伝え、政府の承認を得て語った。グラハムは北朝鮮のマルクス主義者金日成の“和解と平和”への呼びかけを称賛し、金日成は「国家主権を守ろうとする韓国の長い戦いを評価するようになった」と言った。
 ABCの“グッドモーニング、アメリカ”(92/4/6)で、グラハムの旅について話したとき、グラハムは、北朝鮮の人々は“リラックスしていて幸せ”に見えると語り、彼らが金日成の80歳の誕生日の準備をしていることについて特に言及し、金日成についてグラハムは、ほとんど国民の“おじいさん”のようだと言ったのである! 金日成はグラハムの一行に“大変豪華な昼食”を用意してくれ、昼食の間、金日成は“とても温かく親しげ”だった、とグラハムは語った。しかし、グラハムは言った。
「なぜ北朝鮮に招かれたのか全然わからない」と。

「私には考えがあります。」
と、「ザ・ロフトン・レター」のジョン・ロフトンは言う。
「グラハムが、北朝鮮と当時共産主義のソビエト連邦のような所に招かれたのは、彼が、現実通りに語らないことが期待できる、レーニンが“便利なばか”と呼んだ“かも”だからである。」
 グラハムの旅は、最近国連に加わり、現在イランに対して強力な“テロ兵器”を売る契約をしている無神論者の北朝鮮にとって、明らかに莫大な宣伝価値があるものだった。(「カルバリー・コンテンダー(ゴルゴダの競争者)」92/5/1と「クリスチャン・ニュース」93/2/22)
[グラハムはいつも、聖書よりも、共産主義を高く評価しているように見える。かなり前、グラハムは次のように言った。
「毛沢東の八つの訓戒は、基本的に十戒と同じである。事実、もし学校で十戒を読めないとしたら、私は毛沢東の訓戒を据えるだろう。」(「Gothardism Evaluated」)1988,p.16]

 グラハムは、偽キリスト教徒、ヒューマニスト、無神論者、ニューエイジャー、東洋のえせ宗教家などの混合である、ウィリアムズバーグ・チャーター財団(WCF)の後援者である(グラハムは88/6/25の署名式で基調演説をした)。その団体の明言されている目的は、教育における宗教的寛容さである。
 他の“福音伝道的”署名者であるグラハムの後援者は、ジェームズ・ドブソン、ビバリー・ラハイェ、チャック・コルソンである。
[WCFはもはや存在しない。しかし、カリキュラムは“新しい”団体、ニューエイジャーのチャールズ・C・ヘインズ博士率いる“ザ・ファースト・リバティー・インスティテュート”に渡された。(ファースト・リバティーは、もともと、ウィリアムズバーグ・チャーター財団のための、“国家の教師養成と至れり尽くせりの福祉センター”として計画されたジョージ・メイソン大学にある。そのニューエイジとワンワールドカリキュラム“私たちの深淵な違いと共に生きる:他民族社会の中の宗教的自由”は、宗教と公立教育に関する国家協議会、リバティー・インスティテュート・オーガニゼーションによって国の公立学校に提出されており、カリフォルニア州教育委員会に受理されている。)]

 「ヒューストン・クロニクル」の1993年の論文で、ビリー・グラハムは、左翼のリベラルな大統領夫妻であるビル・クリントンとヒラリー・クリントンに対して、好意的なコメントを寄せている。

「大統領ビル・クリントンは偉大な福音伝道師になるでしょう。」
と、ビリー・グラハム師は「USニュース&ワールド・レポート」に、最近のインタビューで語った。グラハムは、クリントンのカリスマと、信じられる何かに感銘を受けたと言った。聖書の観点から、私たちは、罪と不道徳を離れ、善と正義の方向に向かうべきである。グラハムは言った。
「私たちは、隣人にとって必要とされるようにならなければならない。私は、クリントン大統領とヒラリーが、そのことに重要性を置いていることで、勇気づけられます。」

 どのように? 軍隊の中に同性愛を流行らせることや、あなたの隣人の赤ちゃんを堕胎するのを手伝うことか? それとも、クリントンのニューワールドオーダーに対する熱意のことじゃないか?
 グラハムが、聖書の“善”“正義”“道徳性”の正反対を代表する夫婦に何かの言葉をかけるだけでも十分悪い。しかし、グラハムが、クリントンがこれらの徳を強調していると考えることは、グラハムの側の、今までの無知と自己欺瞞をさらしている。

 グラハムは、クリントンが参加した最近の朝食祈祷会に出席した。上院議員ケリーが、ヨハネ3章1-21節を(16節を飛ばして)読んで、「キリストは、“精神的な新生”についておっしゃっている」と言い、そして、「“キリストの精神の中に、ヒンドゥー教徒、仏教徒、イスラム教徒、ユダヤ教徒、キリスト教徒”が会合し、“新しい大統領と副大統領と共に新生がある”」と言った。ビリー・グラハムは付け加えた。
「いつ私たちが、今日以上に精神的な時を持てるのか、私にはわかりません。」

 グラハムの世界教会運動の、また別の証拠は、「USニュース&ワールド・レポート」(88/12/19)での以下の陳述である。
「世界旅行と、すべての宗派の聖職者を知るようになったことが、私を世界教会運動的な存在に形成するのに役立った。私たちは神学によって切り離されている。ある場合には文化と人種によって切り離されている。しかしそのすべては、私にとってそれ以上の意味はない。」
 これは、グラハムが早くも1958年、言葉の無謬についての教義を、単なる“理論”にまで引き下げ、“霊感についてのこの特別な理論”が、キリスト教の正統派的信仰にとって本質的でさえあることを否定した事実に照らして見れば、驚くに当たらない。(編集者へのビリー・グラハムの手紙58/11「エターニティ」誌pp.18-19)

 1990年9月22日、ロングアイランドのナッソー・コロセウムでのビリー・グラハムのクルースエイドに参加した神父は、自分の経験を次のように報告している。
「私は、ビリー・グラハムの妥協についてしばしば読みました。しかし、その話のいくらかは誇張されているのではないかと思っていました。今や、私の目の前でそれらは証明されました。報道されているよりももっと悪く……。私の結論は、ビリー・グラハムは人々を、さらに2倍も、悪魔の子にしてしまっているということです。……重要性は、神を信じることにあります。イエスについての若干の解説と共に。しかしほんの少しです。……私たちは、罪の問題を扱う方法は、“キリストを受け入れ、人生を改めて捧げ、堅信礼の誓い(またはあなたの教会でそう呼ぶもの)を新たにすること”であると知らされている。私は私の目がほとんど信じられない。堅信礼の誓いが救済と何の関係があるのか?……私自身の体験以上に、ビリー・グラハムの背教について、私に確信させられた人は誰もいなかった。ビリー・グラハムは、諸宗教の統一を示すために、彼の陣営にラビまで加えた。有能な相談者がいないのが良くない。しかし、だとしても、教会での経験が、再び生まれることと同じだと人々が信じるように導くのは、背教の極みである。ビリーは妥協したのではない。彼はいかれているのだ!」(「洗礼者の光の家」より。「危険な時」と題して再版1991.3)

 1991年初頭のイラクとの湾岸戦争の間に、ビリー・グラハムは、ジョージ・ブッシュ大統領と一緒に、ブッシュ大統領のために祈るようにホワイトハウスに召喚された。グラハムは、自分のスタッフ以外で、ブッシュは世界中で最高の友人だと言った。また、戦争からおそらく「新しい平和がやって来る。そして、大統領が声明したように、“ニューワールド・オーダー”がやって来る」と言った。(「クリスチャン・ニュース91/2/4」)(強調は追加)

 グラハムが俗世に合わせていることのさらなる証拠は、グラハムの聖職者たちが、映画にPG(※親の許可が必要な成人向け映画)のランクづけをすることを求めたことである。(「ザ・プラディガル」)この要求は、“よい子の‘宗教的’映画には見えないようなもの”だった。(「家族への焦点」誌90/4)
「現世的な画像に対する、このような第一次的で実際的な関心は、映画が与えるかもしれなかった二次的な精神的利益もだめにする」。(「カルバリー・コンテンダー(ゴルゴダの競争者)」91/2/15)

 1986年アムステルダムで、ビリー・グラハム福音伝道クルースエイドのスポンサーにより、2100万ドルの費用をかけて、1万2000人以上のキリスト教の指導者たちが、世界に福音を伝道する戦略を立てるために集まった。グラハムは終わりの記者会見で、世界の福音伝道を達成する唯一の方法は、キリスト教各派の世界的連帯(エキュメニシティ)の傘の下であることを公然と認めた。そんなに多くの参加団体が、信仰の同一の基本原理を持つことすらできず、福音の定義について意見が一致しなかったら、グラハムはどうやって会議を指揮するのかと質問されたとき、グラハムは答えた。
「福音伝道は、私たちがそれによって統合できるほぼ唯一の言葉です。……私たちの方法は違いがあるでしょうし、単なるメッセージでさえ時々それについて論争になります。しかし、私たちが福音伝道の必要があるという事実については何の論争もありません。……私は、どの他の傘の下にも入れないキリスト教各派の世界的連帯があると思います。」
 このようにグラハムは、福音の内容そのものについて論争するであろう人たちと一緒に、福音伝道に加わることを選んだのである!(「CIB会報」1991.7と「ファウンデーション」1991.3-5で報道)

 「A.D.2000福音伝道機関」からの最近のニュースは、ビリー・グラハムが、新しい4人の名誉共同議長に任命されたということである(他の3名は、ルイス・パラオ、キャンパス・クルースエイドのビル・ブライト、韓国のKyun Chik Hanである。福音伝道自由教会のポール・シーダーが、様々な宗派・国家教会・地方教会からの200人の中心的指導者たちから構成されるA.D.2000キリスト教指導者国際連盟の議長を務める)。
 「A.D.2000福音伝道機関」は世界教会運動的で、骨の髄まで妥協しており、それどころかメンバーに何人かのニューエイジャーが入っている(例えば、ジェイ・ゲーリーとロバート・マラー)。まだそのうえに、洞察力がなく十分な知識のない多くの信者がそれを支持し、賛嘆し、参加している。この聖書に基づかない福音伝道運動は、ローマカトリック、正教会、カリスマ派、ペンテコステ派、全種類のプロテスタントを含む。多くの人は、その努力に参加している人たちの幾百万人が間違った福音を説いたとしても、世界に福音を伝道することは不可能だということにまだ気づいていない。これは「A.D.2000福音伝道プログラム」にとっては呪いとなり、祝福にはならない。

 「ミッション・フロンティア会報」1993年7-8号はいう。
「この国際連盟の指導者たちは、A.D.2000と「超越運動」のビジョンを共有している。[“あらゆる国民のための教会と、A.D.2000までのあらゆる人のための福音”が彼らのスローガンである。]
 彼らは、世界福音伝道キリスト教化省の“前線”の指導者・履行者・活動家・用意者・動員者である。連盟のメンバーは、自分たちの区民の関係者にリーダーシップを与え、様々なA.D.2000役員会、委員会、(人的物的)資源ネットワークリーダーたちと精神的な相談をし合う。彼らは、運動の目的の達成を見るためにあらゆる種類の支援と資源を結集しようとする。」(強調は追加)
 “あらゆる種類の”支援を求めるというのは、単に、グローバルな福音伝道キリスト教化の“目的”に賛成すると主張するどんな団体でも利用するという意味である。しかしこのような包括主義者的方針の問題は、彼らが支援を得ようとする団体のうちあるものは、多くの非聖書的信仰とおかしな福音を持っているということである。(「ファウンデーション」誌1993.9-10号)

 1993年3月、ドイツで行われた世界教会運動福音伝道クルースエイドの準備に当たり、グラハムは主要なドイツ政府の役人と高位聖職者と会った。グラハムが会った人の中に、“国で最高位のローマカトリック聖職者”カール・リーマン司教がいた。その会見の目的は、“地方の司教管区に、クルースエイドの出張開催に参加する機会を広げる”ことだった。報道ではこういう。
「リーマン司教はグラハム氏を温かく迎え、“今日、正教会、プロテスタント、カトリックをも含めて私たちを結ぶキーワードの一つは、福音伝道である。”と言った。」(「ディシジョン」誌 93/1 p.19)

[ローマカトリック教と友好関係を結ぶ人たちは、多分めくら判を押しているのだろう。しかし確実に、自らの友人であるローマカトリックによって説かれた間違った福音にもめくら判を押すことになる。ビリー・グラハムが自分の福音伝道クルースエイドにカトリック教徒を含め、カトリック教会に質問者を送ったとき、傍観している人たちは、ローマカトリックは真のキリスト教に違いないと思わされてしまった。福音伝道の指導者たちがローマと親交を結ぶときは、「カトリック教徒は救済される必要があり、カトリック教徒は背信をやめるべきだ」という説教をすることが困難である雰囲気が作り出される。世界教会運動の福音主義者たちは、真実と誤りの壁を破壊して、福音の仕事の水を濁したのである。(「カルバリー・コンテンダー」93/7/1で報道)]

 「クリスチャン・ニュース」の編集者から、「グラハムがフリーメーソンに加入しているのではないか」と言われていることについて質問している大量の手紙を受け取った後、グラハムの聖職者集団のスタッフメンバーが、グラハムはフリーメーソンのメンバーだったことはないと主張した(弱い調子の発表で、ビリー・グラハム福音伝道協会は、フリーメーソンリーを、次のような理由で“非難した”。すなわち、誰かがロッジに参加することで満たそうとしている欲求を教会が満たさねばならず、もし夫と妻が、夫がロッジ会員であることや、誓いを立てる必要性についてお互いに同意していなければ、ロッジに参加することは夫婦間の亀裂を引き起こすので、それは聖書に違反することになるという理由であった)。
 しかし、グラハムの聖職者集団は、グラハムが1966年、33階級のイニシエーション儀式に参加したことを認めた。グラハムの弁護者たちは、それが、グラハムがフリーメーソンリーの危険性について注意するようになった理由だと主張した。

 しかし、メーソンたちが、自分たちの儀式にあやしい人間を招待する習慣はない! だとすると、それはグラハム自身のイニシエーション儀式だったと推測できないか?
 グラハムの著作「フリーメーソンリーの起源と教え」について最初の調査をしているとき(ワシントンD.C.のHouse of the Templeで)、ロバート・A・モーレイ博士は、そこに33階級のメーソン全員のファイルがあると言われた。モーレイは、ビリー・グラハムについてのファイルはあるか尋ねた。図書館員は言った。
「あります。ご覧になりたいですか?」
 しかしモーレイは、それが本物だという感じがしなかったので、「今回は結構です」と言った。(編集者へのロバート・モーレイの手紙「クリスチャン・ニュース」92/9/14)

 オレゴン州ポートランドのフリッツ・スプリングマイヤーは、「ビリー・グラハムと聖書」という小冊子を書いた。彼はビリー・グラハムが、血の誓いを立てた33階級のメーソンであるという証拠を載せた。この小冊子で、スプリングマイヤーは次のように述べている。
「ビリー・グラハムは、33階級メーソンである聖職者ジム・ショーのイニシエーション儀式に参加した。これはショーが、キリストへの服従により、フリーメーソンリーを去る前のことである。」(クリスチャン・ニュース92/9/14)

 ライス大学社会学者のウィリアム・マーティンは、5年間グラハムの公認の伝記(「名誉ある預言者――ビリー・グラハム物語」1991:これはグラハムの公認の伝記の2冊目で、もう1冊は、1966年ジョン・ポロックによるもの)を調査した。マーティンはグラハムを“リンドン・ジョンソンと裸で泳いだり、気後れなしに「プレイボーイ」を床屋でめくったりできる普通の男。しかし彼は清潔な生き方の見本でもある”と、性格描写をしている。
 マーティンによる他の観察には、次のようなものがある。

(a)グラハムのキリスト教の形は、改心を得るための大量生産的アプローチを好み、感情と、極端に単純化した聖書に関する見解に頼っている。

(b)グラハムは、金持ちで権力のある人たちに近づくことと引き換えに、不注意に、宗教と政治を切り離す方向に歩みたがっている。

(c)研究によってわかったことは、グラハムの大集会で説教を聴いて改心したという人のほとんどは偽の改心で、グラハムのクルースエイドの最後の呼びかけに応えた人たちの多くが、‘キリストに帰依する人たちの大きなうねりがあるという印象を与えるように、先導役を前に出させる’というテクニックによって動かされている。

(d)グラハムは、主流派のプロテスタント、カトリック、他の疑わしい信仰と協力して活動しようという意欲について批判されている。

(e)グラハムは、マーティン・ルーサー・キング牧師と、周知のニューハーフと、マルクス主義の賛同者を公的に支持した。

(f)グラハムの世界教会運動の達成目標は、新しい福音伝道雑誌「今日のキリスト教」の創設と、全米福音主義者連盟(NAE)の初期の頃からの重要な歯車であることに加えて、世界教会運動の青年組織「キリストのための若者」の創設を含む。

 グラハムは、91年8月27日にニューヨークにあるNCC(全米教会会議)の本部を訪れ、NCCを以下のように称賛した。
「世界中で、あなた方以上に、私が今すぐ入った方が良いと思われる団体はありません。なぜなら、私はあなた方について、私はあなた方のために祈りますが、私たちは非常な興味を持って、あなた方が行っていることに倣います。……私は自分がすべての教会に属しているとみなしているので、私はもうそんなに多くの教会の会衆に対して話しません。そして私はすべての人々を平等に愛していて、イエス・キリストが主だと言う誰とでも友情関係を結ぶことに何の問題もありません。二十数年ほど前にその結論に達したことは、私にとって、大きな救いでありました。」(「ファウンデーション」1991.6-8 p.34で報道)

 ビリー・グラハムは何十年間もカリスマ派の運動を愛しており、支援をしてきた。1962年に、シアトルで彼らの会議で話をした後、彼の写真が、“完全な福音・ビジネスマンの友愛”雑誌「ボイス」(1962.10)の表紙に載っている。オーラル・ロバーツを福音主義運動の共鳴者の主流に連れてくる役割を果たした人物は、ビリー・グラハムだった。グラハムはオーラルを、1966年の終わり頃、「今日のキリスト教」誌がスポンサーとなったベルリンでの福音主義世界会議に招待し、そして1967年4月にオーラル・ロバーツ大学の開校式に話をしました。

 また、グラハムはオーラル・ロバーツとテレビの特別番組に出演した。ロバーツの粗野なビジョン、信仰治療、恥知らずな金集め計画については、何の抗議や警告の言葉もなかった。グラハムの「アムステルダム'83」で、メインとなる二人の弁士は、韓国のポール(デイビッド)・ヨンギ・チョーと合衆国のパット・ロバートソンだった。もちろん二人とも言葉に遠慮のないカリスマ派の信者である。(「新中立主義U」p.30)

 カリスマ派運動へのビリー・グラハムの恋愛関係は、今日も続いている。グラハムは、“聖なる魂と世界福音伝道についてのニューオーリンズ'87北アメリカ会議”での超カリスマ的な集まりに対して、短いビデオであいさつと祝福の言葉を贈ったが、それは大変なファンファーレと共に紹介され、大きなスクリーンで見せられた。あいさつを贈るように頼まれたとき、グラハムは正直にこう言うべきだった。 「いったいどうやって神がその混乱を祝福できるだろうか?」と!
 しかし、その代わりに、彼はこう言った。(「おお、ティモシー」特別号“インディアナポリスでのカリスマ派の混乱”)
「主に誓ってあいさつします! 今日、あなた方の偉大な会議に私も出席できたら、どんなに素晴らしいことでしょう。しかし、ここコロラド州デンバーで、私たちはクルースエイドに携わっています。私は、あなた方の会議の目的について、あなた方と共に喜びます。そして、私は、あなた方の運動が、この国に精神的な覚醒をもたらすことにきわめて重大な役割を持っていることを神に感謝します。あなた方の会議が神に大いに祝福され、私たちの主と救世主イエス・キリストの良き便りを広めるために、聖なる魂によって使われますように、という私の祈りは、あなた方と共にあります。神があなた方すべてを祝福されますように。」[!!!]

 カリスマ派の“神の顕れの息子たち”という教義を広めている、非常に影響力のある著作は、ポール・E・ビルハイマーの「王座への運命」である。神性の拡大に関する“教会への神の目的”と題された章で、ビルハイマーは書いている。
「この連合体は、単なる形式的・機能的・理想主義的な調和や関係を超える。それは‘人格を持った諸個人の有機的な関係’である。私たちは新しい誕生を通して、原初の、宇宙的な家族の真実の一員になる。……」
 ビルハイマーは、“聖なる魂”への個人的な奉仕によって“洞察力”をいただいたと主張している。彼は結論づける。
「このように、新しい誕生を通して――つつしんで述べるが、――私たちは、神性の“拡大”の一種である、三位一体の“血族の次”のものになる。」
 TBNのジャン&ポール・クラウチは、1985年と1986年にこの本を数千の数百倍冊発送した。彼らは今でも資金集めに発送している。この本のはしがきは、ビリー・グラハムによって書かれたものである。(「勇敢な真実のニュース」で報道)

 ビリー・グラハムも、今日の指導的な“福音主義者”の非常に多くの人によって信奉されているポップ心理的な福音に関して、“卑怯なやり口”をとってきた。以下はその二つの例である。

(a)グラハムは、自己愛と他の人文主義的な概念を支持している研究注釈(例えば、ロマ書12:3への研究注釈では「私たちの中には、自分自身を低く考えすぎている人がいるので、健全な自己尊敬は重要である。正直で正確な評価は、キリストにおいて、私たちの自己評価・私たちのアイデンティティの基礎を知ることである」;創世記1:26「私たちが神の似姿に造られ、それゆえ神の性質の多くを共有していることを知ることは、自己評価のための堅固な基礎となる」)のついたスタディ・バイブル「人生適用聖書」を保証宣伝した(チャールズ・スタンレー、ハワード・ヘンドリクス、D・ジェームズ・ケネディと共に)。グラハムは「“人生適用聖書”は、キリスト教徒が、人生を変える聖書のメッセージを自らの人生に当てはめるのを助ける偉大な一歩である」と言ったとして引用されている。

(b)グラハムは彼の著作「人生の悩みへの回答」でこう述べている。
「神への信仰は非常に非常に重要である。」
 しかし、どうも不十分である。
「神はあなたが直面している問題のうちのあるものについては、あなたを助けるために、有能な精神科医を使うことを選択されているようだ。……だから、もし根深い感情の悩みを扱うのに役立つなら、あなたが精神科医や、訓練された心理学者の助けを求めることは間違っていない。神へのあなたの信仰を止めないような人を捜しなさい。あなたの牧師は、あなたの地区のキリスト教徒である精神科医を提案してくれるでしょう。」

 「ファウンデーション」誌は、適切に、ビリー・グラハムに反論する事例の概要を述べているようである。
「妥協の50年は、ビリー・グラハムの人気を増大させたが、精神的な識別力と聖書についての確信の深刻な喪失の結果となった。妥協の50年によって、ビリー・グラハムは間違った福音を説き、危険で非聖書的な教義を教える何百万もの人たちとの親密な親交と協力をするようになった。ローマカトリック教会、正教会、プロテスタント教会が説く間違った福音について警告することを彼が拒否していることは、許せず、擁護できない。カリスマ派指導者のなかなか消えない火のような教えの危険性について警告しなかったことは、何百万もの信仰者がだまされることへのドアを開いた。妥協の50年は、ビリー・グラハムを、世界平和を相互に求めるという基礎の上に、異教の指導者たちと手を結ばせることにさえ導いたのである。」(「ファウンデーション」誌、1991年3-5月号、p.16)

 これと違うようには書いてないとしても、ビリー・グラハムに関する、このレポート中の情報と、事実に基づいたその他の証拠は、以下の情報源で見つけることができる。
(a)アメリカ教会連盟「ビリー・グラハム」:パフォーマー、政治家、説教師、預言者
(b)クラウド,デイビッド「ローマとのたわむれ」Vol.1:ビリー・グラハム 1992,48ページ
(c)ドゥレア,チャールズ「あるカトリック教徒がビリー・グラハムを見ている」1967
(d)ダナム,ウィリアム・E“ビリー・グラハムの妥協”「ニュース批評」74/5/8
(e)ユーイン,ウィルソン「ローマカトリック教会へのビリー・グラハムの同化」1992,23ページ
(f)ハルス,エロル「ビリー・グラハム:牧師のジレンマ」1966
(g)パスレイ,イアン「ビリー・グラハムとローマ教会」19??
(h)ピーターソン,F・ポール「ビリー・グラハムとウォーターゲート」1974
(i)ピカリング,アーネスト「聖書の分離」1979
(j)レイノルズ,M.H.「ビリー・グラハムと法王と聖書」
(k)ウェイト,D.A.“ビリー・グラハムの原則の素早いチェンジ”「今日のための聖書」6ページ
(l)「聖書の識別の聖務」改訂版94/1


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