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▼女性のためのフリーメーソンリー

キャサリン・イロンウォード

 http://www.sonic.net/~yronwode/comasonry.html


 女性はメーソンになれるのでしょうか? 答えは「イエス」です。女性がフリーメーソンリーの中でどういう役割を果たしているかを理解するためには、フリーメーソンリーの歴史を振り返ってみる必要があります。フリーメーソンリーの組織に女性を加入させないことは、“古代のランドマーク”の一つだと言われてきました。これは事実でしょうか。

 この疑問については、以下の五つの章で説明します。

・17世紀:古代のランドマーク
 古代実務的ロッジで、女性がメーソンになっていたという証拠について

・18世紀:思索的メーソンの女性たち
 グランドロッジ・オブ・イングランド設立以前の女性メーソン

・19世紀:コーメーソンリー(フリーメーソンリーの付属団体)の発達
 フリーメーソンリーの男女混合組織の略史

・20世紀:コーメーソンリーと女性メーソンリーの現状
 世界各地の男女混合メーソンリーと、女性だけのメーソンリーについて

・よく出る質問とその解答
 さらに詳しい質問に対する解答はどこで得たらよいか


●17世紀:古代のランドマーク
古代実務的ロッジで、女性がメーソンになっていたという証拠について

 まず、過去の記録について述べます。以下の文章は、1995年にブラザー・ビル・エドワーズから私に送られてきたものです。これは、1995年3月に、非常に尊敬すべきネビル・B・クライヤー大聖師が、フィラレーサス・ソサエティのフィンガー・レークス支部で行った長時間にわたるスピーチのほんの一部を抜粋したものです。ネビル・B・クライヤーは、元サリー地区のグランドマスターで、グランドロッジ・オブ・イングランドの元グランドチャプリンです。また、ヨーク・ヘリテージ委員会の会長であり、クワトー・コロナティ・ロッジ・オブ・リサーチのメンバーです。


「女性とフリーメーソンリー」
 ネビル・B・クライヤー大聖師
 『メーソニック・タイムズ』1995年5月 ニューヨーク州ロチェスター

 グランドロッジ・オブ・ヨークの1693年のヨーク・マニュスクリプトNo.4には、徒弟がブック(Booke)を受ける階級に昇格する時、“メーソンになる予定の彼またはshee[ママ]が、手をその上に置く”やり方や、“訓諭(チャージ)を受ける”やり方について述べられています。メーソニック・リサーチ・イン・イングランドの私の前任者は、ヒューゲンやヴィバート、そしてそれ以降のどの人たちも、その“shee”は、単に“they”の間違いだと思い込もうとしてきました。現在私は、ヨーク・ヘリテージ委員会の会長です。私はこれらの文書を知っています。私は彼らにも説明しましたし、またあなた方にもお伝えしますが、この“shee”は、明らかに“she”です。

 もちろん、そのことを説明しようとするのは困難です。前任者たちは、これについて説明しようとはしませんでした。彼らは、非常に男性本位だったのです。しかし、17世紀の日付がついている昔の文書に、そのような記載があるという事実は、依然として存在するのです。また、1696年に2人の未亡人が、オペレイティブ・メーソンズ・コートの会員になっていたという話もあるので、やはり“she”であることは間違いなさそうです。さらに、グランドロッジ・オブ・イングランドが設立される少し前の1714年には、こういう記述があります。それは、イングランド南部のはずれにある、バーキングという町の床屋の娘のメアリー・バニスターが、5/- の謝礼金で、メーソンとして7年間徒弟に出されていたというものです。


●18世紀:思索的メーソンの女性たち
グランドロッジ・オブ・イングランド設立以前の女性メーソン

 次に、実務的ロッジよりも、思索的ロッジで、多くの女性がメーソンになっていたという実際のケースについての話題に移ります。女性がメーソンになることが一時的に許されていた、という説を裏付ける証拠はかなり多くあります。そのような女性メーソンの中で、最も有名なのは(そして最も証拠が多いのは)、1700年代にメーソンになったミセス・オールドワースです。以下に、彼女がメーソンでどのような活動をしたかについて、ダッドリー・ライトが1920年に書いた短い記述を掲載します。これは、1994年にウィリアム・マドックスがインターネットに掲載したものです。


「女性フリーメーソン」
 ブラザー・ダッドリー・ライト/イングランド
 『ザ・ビルダー』1920年8月

 古代訓諭は、女性がオーダー・オブ・フリー・アンド・アクセプテッド・メーソンズに加入することを禁止している。しかし、たまたまそうなった場合や、故意の場合もあるが、その規則に違反して、女性を正式に加入させたケースが知られている。最も顕著なのは、のちに結婚してミセス・オールドワースとなった、エリザベス・セイント・レジャーの例である。彼女は、“崇高なフリーメーソンリーの秘儀に参入するという栄誉を得ることのできた唯一の女性”と言われているが、これは間違いである。

 エリザベス・セイント・レジャーは、コークに住んでいた初代子爵ドネレールの娘である。彼女の父親は、非常に熱心なメーソンであった。彼は、当時(18世紀の初め頃)の慣習として、自宅で時々集会を開いていた。集会では、メーソンである彼の家族や、すぐ近くの隣人や、参加者たちが彼をサポートした。このロッジは正式に認可されており、グランドロッジ・オブ・アイルランドのNo.150として登録されていた。

 カッピンガーという紳士が入会する前の晩、エリザベスは、集会部屋として使われていた部屋の隣の部屋に隠れていた。当時その部屋は、何かの改造の最中だった。エリザベスは、はさみを使って仕切りの壁からレンガを1個取り、その穴から参入儀礼(イニシエーション)を見てしまったと言われている。彼女はその光景に非常にショックを受けたらしく、直ちにその場から逃げようとしたが、剣を持った見張り役に見つかってしまった。見張り役は彼女の前に立ちふさがって、逃走を阻止した。彼女の叫び声で、参加者たちはその場に駆け付けた。参加者たちは、彼女が今行われた儀式のすべてを見てしまったことを知った。かなりの話し合いがなされたが、彼女の兄(弟)の懇願が受け入れられ、彼女の入会が許されることになった。エリザベスは正式なメンバーとなり、のちにそのロッジのマスターになったのである。

 アイルランドのフリーメーソンリー歴史家ミリケンによれば、彼女はロッジNo.95に加入したという。このロッジNo.95は、コークでまだ続いているが、彼女が入会したという記録は残っていない。しかし、彼女が1744年に発行されたアイルランドの規約書の申し込みをしているという記録は残っている。また、メーソンたちが貧しい人や困っている人たちのために主催した催し物に、彼女がメーソンの正装をして、頻繁に参加していたという記録もある。彼女はのちにニューマーケットのリチャード・オールドワースと結婚し、そして彼女が死んだ時には、フリーメーソン式の埋葬の仕方をしてもらうという光栄にあずかった。彼女のいとこには、アントニー・セイント・レジャー将軍がいる。彼は、ドンカスターの近くのパークヒルの住人で、1776年に有名なドンカスター・セイント・レジャー一族の始まりとなった人物である。


 下の版画は、メーソンの正装をしたエリザベス・オールドワースで、これは、ロバート・フレーク・グールドの『フリーメーソンリー略史』に掲載されたものです。この版画を作る際の元になったのは、彼女の子孫が所有していた肖像画だと言われています。この画像は、サンドラ・ヘッセがスキャナーで撮って、私に送ってきたものです。

 ネビル・B・クライヤーがフィラレーサス・ソサエティで行った上述の演説で、クライヤーは、エリザベス・セイント・レジャー(のちのエリザベス・オールドワース)が思索的メーソンとして入会した有名な経緯について説明しました。そして、それが起こったのは、グランドロッジ・オブ・イングランドが形成される以前の1712年のことであり、つまり、「女性を入会させないことは“古代のランドマーク”である」という宣言がなされ、組合に女性を入れることが中止される前の出来事だったとクライヤーは述べました。
 女性がロッジに加入した他の例は、まだ多数あります(クライヤーとライトは、それぞれ数例を挙げている)。しかし、スペースの都合上、割愛します。エリザベス・オールドワースの例は、女性がメーソンになったという例外的な珍しいケースですが、グランドロッジ・オブ・イングランドの設立から、19世紀に男女混合の組合組織であるコーメーソンリーが登場するまで、エリザベスのようなパターンは、標準的なものでした。


●19世紀:コーメーソンリーの発達
フリーメーソンリーの男女混合組織の略史

 以下は、ブラザー・ライトが執筆し、ブラザー・マドックスがインターネットに掲載した、コーメーソンリーの歴史です。


「コーメーソンリー」
 ブラザー・ダッドリー・ライト/イングランド
 『ザ・ビルダー』1920年8月

 1879年、古式公認スコットランド儀礼フランス最高会議に忠誠を有するいくつかの支部が、フランス大東社(グランド・オリエント)に扇動されて、忠誠を捨てて、ラ・グランド・ロジュ・サンボリック・ドゥ・フランスという組織を作った。それらの支部の中で、セーヌ・エ・オワーズのペックという村で集会を開いていたレ・リブル・パンスールという名前の支部は、人道主義と女性参政権問題で有名なマドモワゼル・マリ・デスレムという作家を、フリーメーソンリーに入会させることを提案した。彼女は1882年1月14日に入会したが、その件によって、そのロッジまたは支部は、一時除名処分となった。マドモワゼル・デスレムの一件は、フランスの有名な女性数名が、フリーメーソンリーの階級組織の中に入るきっかけを作った。そして1893年4月4日、ラ・グランド・ロジュ・サンボリック・エコセズという男女混合のフリーメーソンリーの団体が作られた。しかし、その管轄区域には、同じ日に誕生したル・ドロワ・ユマンというロッジが一つあるだけだった。1900年には、そのロッジは、古代公認スコットランド儀礼の30階級を採用した。

 この新しいグランドロッジの形成に尽力した人物は、一時レ・リブル・パンスールの会員だったジョルジュ・マルタンである。この分離運動は、パリやベナレス、のちにはロンドンにまで広がった。1902年9月には、現在コーメーソンリーのNo.6に登録されているロンドンの“ヒューマン・デューティ(人間の義務)”というロッジが聖別された。1905年には、“ジョイント・メーソンリー”という従来の名称の代わりに、“コーメーソンリー”という名称が採用された。


●20世紀:コーメーソンリーと女性メーソンリーの現状
世界各地の男女混合メーソンリーと、女性だけのメーソンリーについて

 1903年、コーメーソンリーがアメリカにやって来ました。ネビル・クライヤーによれば、エリザベス・セイント・レジャーの直系であるアリシャ・セイント・レジャー・オールドワースは、1918年にその男女混合の組織に加わりました。フリーメーソンリーの歴史家であるアーサー・エドワード・ウェイトは、『ザ・ニュー・エンサイクロペディア・オブ・フリーメーソンリー』の中で、「1922年には、コーメーソンリーのロッジは、世界全体で450ヶ所以上できていた」と書いています。

 下の写真は、完全な正装をした20世紀の女性メーソンです。この写真は、1939年1月6日のレジャイナ(カナダ)の『リーダー・ポスト』という新聞に載ったものです。この写真をスキャナーにかけてくれたのは、カナダ、サスカチェワン州のスウィフト・カーラントのレイ・サーモンです。

 その新聞に載っていたキャプションは以下の通りです([ ]の中は、私のコメントです)。


 最近、ミセス・シートン・チャレン(左)は、ロンドンのフリーメーソンの寺院において、古式にのっとった適切な儀式と手続きを経て、最も尊敬される古代フリーメーソンの栄誉ある友愛団体のグランドマスターの位に就いた。彼女は、生涯この位に就く予定である[このロンドンが、イギリスのロンドンなのか、カナダのオンタリオ州のロンドンなのかは、文脈からははっきりわからない]。創設以来25周年[1914年創設]のこの団体には、第1階級から第33階級まであり、女性のメーソンにも、そっくりそのままその階級を与えると主張している。

 ミセス・チャレンは、そのロッジの組織者の娘であり、彼女自身も創設者の最後に名を連ねている。ミセス・チャレンの就任式は3時間に渡って行われた。右側は、その就任式における、そのロッジのグランド・ソード・ベアラー(剣を持つ人)[つまり見張り役]のミセス・フィリス・サットン・ベインである。


 現在、コーメーソンリーのロッジは、少なくとも50ヶ国に存在しています。アメリカ、カナダ、イギリス、オーストラリア、ギリシャ、オランダ、ブラジル、チリ、ペルー、メキシコ、ベルギー、ベネズエラなどです。世界の男女混合管区には、フランスに本部があるル・ドロワ・ユマン、アメリカに本部があるアメリカ人権連合などがあります。女性だけの管区には、グラン・ロジュ・ドゥ・フランスや、レディー・メーソンズ・オブ・グレートブリテンなどがあります。

 ユナイテッド・グランドロッジ・オブ・イングランドや、アメリカ人権連合などの団体間には、正式な“承認”というものはありません。しかし、メーソンとコーメーソンの間には、特にインターネットを通じて温かい関係が保たれており、お互いに尊重し合っています。

 ネビル・クライヤーは、フィラレーサス・ソサエティのスピーチの最後に、男性のメーソンが、女性のメーソンを認めることを呼びかけました。彼はこのように言いました。
「結局、もし女性が、あるメーソンの良き妻であり、母であり、娘であるならば、その女性は、彼の“ブラザー”であることができるはずである。男性の組織は、有色人種が入会することを認めたが、自分の身近な人たちを認めることを拒絶したのである。」
 女性の加入が認められるまでは、メーソンになりたい女性や、女性と共に“誠実”に活動したい男性は、コーメーソンリーのロッジを探すように励まされるのです。


●よく出る質問とその解答
さらに詳しい質問に対する解答はどこで得たらよいか

 以下は、コーフリーメーソンリーについて最もよく出される質問です。

A)コーメーソンは“至高の存在”を信じているのですか?/コーメーソンはロッジに公開 の“聖なる規則の書”があるのですか?/コーメーソンは秘密のロッジを持っているのですか?/男性がコーメーソンになることは認められているのですか?

 この質問に対する答えと、これに似たような質問が、ブラザー・ダッドリー・ライトがリストアップし、1994年にウィリアム・マドックスがインターネットに掲載した『コーフリーメーソンリー原則』の中にあります。


「コーフリーメーソンリー原則」
 ブラザー・ダッドリー・ライト/イングランド
 『ザ・ビルダー』1921年2月

1. コーフリーメーソンリーは、『フリーメーソンリー古代宣言』にのっとり、“宇宙の偉大な創造者”の名のもとに、創造原理または“至高の存在”が存在することを断言する。

2. コーフリーメーソンリーは、どのロッジでも、フリーメーソンリーのために正式に作られたものがある場合は、公開の“聖なる規則の書”を持っている。

3. コーフリーメーソンリーは、フリーメーソンリーの古代のランドマークを有する。

4. コーフリーメーソンリーは、正規でない秘密の集会や、正当な憲章のないロッジは承認しない。

5. コーフリーメーソンリーは、真理を自由に探究することを制約しない。また、その自由を保証するために、会員全員に寛容さを要求している。

6. コーフリーメーソンリーは、自由で、良い評判があり、厳格なモラルを守る人たちには、男性にも女性にも、人種や宗教の差別なく開かれている。

7. コーフリーメーソンリーは、会員に対し、国の法律を守ること、自分の国や国家主権に忠誠心を持つこと、フリーメーソンリーの秘密を守ること、高水準の道義心を持つこと、人類の幸福を増進させるために絶え間ない努力を行うことを誓約させる。

8. どのフリーメーソンも、自らが忠誠を誓っている最高会議の決定に忠実に従う義務がある。


B)コーフリーメーソンリーはなぜ作られたのですか?

 コーフリーメーソンリーの起源を、19世紀末と20世紀の初期に起こった女性参政権運動に結びつけようという意図の重大さをよく理解していない方々は、以下の文章を読まれるとよいでしょう。これは、1907年8月7日付けのワシントンDCのアメリカ人権連合の設立証明書の抜粋です(公式記録として保管されている文面を掲載します)。

 「この団体が特に目指している活動内容と目的は、法律の前に、男性と女性の平等な権利を要求することである。また、以下の目的で当団体が作成し、採用した規約と細則に従って努力することである。すなわち、当団体のあらゆる形態のもとで無知と戦うことによって、会員が相互に高め合い、人間らしい性格を作り、連帯を育て、あらゆる人に対して親切な気持ちを持ちながら高水準の道義心と社会的正義を保ち、人類の道徳的・物質的幸福を増進させるために絶え間ない努力を行うことである。そのために、アメリカ全体でコーメーソンリーの支部やロッジを組織し運営する。」

(似たような文面が、近代のアメリカ人権連合の設立記事に載っていますが、それも公式記録ということになっています。)


C)コーフリーメーソンの儀式は、アメリカの男性のフリーメーソンリーの儀式と同じなのですか?

 フリーメーソンリーの歴史家アーサー・エドワード・ウェイトは、1922年の『ザ・ニュー・エンサイクロペディア・オブ・フリーメーソンリー』の中で、「フリーメーソンリーの象徴や比喩的な表現は普遍的なので、アメリカとイギリスの男性メーソンは、コーメーソンリーの活動を容易に承認し従うことができるだろう」と述べています。しかし、コーメーソンリーは、ヨーロッパの伝統に倣って、参入儀礼の前に、ヨーロッパ式の反省の小部屋を使っています。これは、イギリスとアメリカの大多数の男性ロッジでは使われていません。


D)私は入会したいと思います。どうやって家から近いコーメーソンリーのロッジを見つければいいのですか。

 アメリカのコーフリーメーソンリーについての詳しい情報は、アメリカ・コーメーソンリーの公式ウェブサイトを見るか、e-mailでアメリカのコーメーソンリーに連絡を取って下さい。
 もしあなたが国際的なフリーメーソンリーに関心をお持ちなら、ル・ドロワ・ユマンの公式ウェブサイトをご覧下さい。

 


 最後に、男性メーソンリーに属している親しい友人から出された、からかい半分の質問です。

E)じゃあ、立候補者を出そうという準備はしているのかね?

 申し訳ありませんが、責任上明かせません。;-)


 この記事が、あなたの疑問に答え、あなたのお役に立つのであれば幸いです。私はこの内容に関するe-mailに答える時間がありませんので、もう一度述べさせていただきます。
 もしあなたがアメリカのコーメーソンリーについてもっと質問したいとお思いならば、アメリカ・コーメーソンリーの公式ウェブサイトをご覧になるか、e-mailで、アメリカ・コーメーソンリーとコンタクトを取って下さい。もし国際的なコーフリーメーソンリーに関心をお持ちなら、ル・ドロワ・ユマンの公式ウェブサイトをご覧下さい。

 catherine yronwode
 FC - Hiram Lodge, U.D.
 Santa Cruz, California

(私は私自身の考えを述べています。私のロッジの代弁をしているわけではありません。)



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